SSブログ
ACエッセイ ブログトップ
前の10件 | -

天国に旅立つ動物さんへの言葉② [ACエッセイ]

前回のブログの続きです。


☆天国に旅立つ動物さんへの言葉①
https://nijino-ehon.blog.so-net.ne.jp/2019-03-03



3年と少し前に旅立った愛犬ココアとおはなししてみました。

ココアは犬の姿ではなく、とても美しい虹色のエネルギーを
くるくる回転させながら私に見せてくれました。
ココアの魂の色だと思います。

コ「お母さん、僕とっても幸せだったよ。」

お母さんとは私のことです。

私「ありがとう。それを聞いて嬉しいよ。
  ココアは今、どんなふうに過ごしてるの?」

コ「常にお母さんのそばにいる。
  お母さんを守っているものはいっぱいいるんだけど、
  その大元のガイドさんのそばで働いているよ。」

私「どんな仕事をしているの?」

コ「主にエネルギーの調整。
  僕は陰と陽のバランスをとるのがうまいから、
  お母さんのそばでバランスをとる役目をしているよ。
  今、心がすごく安定しているでしょ。
  僕のおかげだよ。」

得意げです(笑)

確かにココアの旅立ち後もいろんなことがありましたが、
胆が据わったというか、ちょっとのことでは動じなく
なったというか・・・
気持ちと足が地について安定、安心しているように過ごせています。

生前のココアは、若い頃はやんちゃではありましたが、
5才ごろには犬翁?と思うほど安定して、穏やかで包容力の
ある犬に成長しました。
セッションのときには常にそばにいてもらい、私はいつも
支えてもらっていました。
その犬翁エネルギーのおかげなのか~!

私「本当にどうもありがとう!
  病気の動物さんのそばで苦しんでいる飼い主さんに
  お伝えしたいことがあるんだ・・・
  ココアが以前を思い出したとき、動物として
  飼い主さんに一番何をしてほしい?」

コ「飼い主さんの笑顔かな。笑顔が一番ほっとする。
  僕もすごく苦しかったけど、お母さん
  いつもにこにこさすってくれたよね。
  心がすごく悲しんでいたのは知っていたけど、
  笑顔で安心させようとしていてくれた。

  僕があまりにも苦しいから、安楽死を考えて
  くれたこと、そして実行してくれたことは
  今はとても感謝してる。

  何よりその前にいっぱい話し合って、
  僕に決断を話してくれたこと。
  『もう大丈夫。穏やかに逝けるよ。』
  って言ってくれたこと、忘れない。
 
  僕は感謝の気持ちでいっぱいだった。
  もう天に迎えられるだけだと思ったよ。

  だから今苦しい飼い主さんたちに
  伝えてほしい。

  老衰でも病気でも、命が全うできるのには
  変わりがないんだ。
  志なかばに思えることでも、その子の中では
  寿命だったんだ。
  動物はそれを納得して旅立ってゆく。
  天に行ったら飼い主さんを支える仕事を
  するために。
  第二の人生のために。

  悲しまないで、とは言わない。
  僕らも悲しいんだ。
  でも、僕らはわかっている。
  必ずその先に天があって、僕らを迎えてくれる
  仲間がいて、ガイドさんがいて、ずっとずっと
  大切な家族を見守れることがね。

  続いていくんだ。ずっと絆は。

  だから『ありがとう』って旅立たせてほしい。
  
  『これからもよろしくね』って僕は言った。
   (ココアが旅立つときです)
  
  だって、ずっと一緒だから。

  僕らの旅立ちには『安心して。ありがとう。』って
  言ってほしい。
  それが一番の見送りだと思う。

  そしてそれは僕らが天国で生きる力になるよ。
  ずーっと早く前に進める。ぐーんとね。」

私「そうなんだね。
  闘病が大変だったりした子はしばらくガイドさんたちに
  ヒーリングを受けて眠ってることがあるの?」

この光景は、あるわんちゃんが旅立った後、夢の中で見ました。
私のガイドさんの一人がこの仕事の見習いらしくて、
案内をしてくれました。

コ「そういう子もいると思う。
  でも心は元気だから、次の仕事のためにワクワク
  してるよ。
  だから安心してほしいんだ。
  天国でどんな仕事をしたいか聞いてあげたり、
  なでながらいろんな話をしてあげてほしい。」

私「どうもありがとう。」

コ「すべての人が出来るかどうかはわからないけど、
  撫でて『ありがとう』は毎日言ってあげて
  ほしいな。
  魂に蓄積されて、その思いは僕らの糧になるから。

  『死は終わりではなく始まり』なんだって
   知ってほしい。
   それは飼い主さんとの新しい関わりなんだ。
   
  その子の寿命に感謝してほしいな。
  一緒にいたれた時間、ぬくもり、愛情
  すべてをお互いの心に持って僕らは旅立ってゆくよ。
  そして、必ず誰かのために働いているよ。
  僕のようにね。」

その後、ココアは今のクッキーのことを色々教えてくれました。
クッキーとの関わりで私が大切にしてほしいこと、
これからのクッキーの成長のことなど・・・

ココアには本当に大切なことを教えてもらえました。

今、闘病で苦しそうな動物さんを見ているだけで
何もできない・・と辛い思いをなさっている方へ・・

私と家族、そしてココアも安楽死をしなくても
よかったのなら、そのほうがどんなによかったか・・
という思いは変わりません。
発作が落ち着いて、家に帰れて家族に見守られ
ながら穏やかに旅立ってほしかったと思います。
私は今でもその光景を夢に見ることがあります。

それでも、当時は私たちが出来ることの最善を
尽くした・・と思っています。
そしてココアの言葉が救いになりました。

ココアの言葉が少しでも、みなさんの
お役に立ってくださればと思います。

そして、その子とのかけがえのない時間を涙だけではなく、
『ありがとう』と大切に過ごしていただければ・・と思います。


天国に旅立つ動物さんへの言葉① [ACエッセイ]

最愛の動物さんが病気に瀕していて今とても辛い思いを
なさっているすべての飼い主さんに贈ります。

最初にこのことを書こうと思ったのは、桜井識子さんのブログの記事
「死ぬゆく人への言葉」を読ませていただいたからです。

もしよかったら先にこちらを読んでみてください。

☆桜井識子さんのブログから
「死ぬゆく人への言葉」
https://ameblo.jp/holypurewhite/entry-12442678477.html

私はこの記事を読ませていただいて、ああ、人も動物も
おんなじなんだなあ・・と思いました。

天国が近くなった動物さんたちとおはなしをさせていただく
機会があります。

動物さんたちが飼い主さんに望むことは、
『笑顔でいてほしい』
『いつもと同じでいてほしい』
『安心していてほしい』
『穏やかな気持ちでいてほしい』
という願いが多かったように思います。

そして、うとうとと眠りながら魂が時々天国と地上を行ったり
来たりするのも同じでした。

病気で苦しそうに見えるとき、一旦魂を抜け出て天にいて
苦しさをまぎらわしたりできるのも、天からのサポートの
ようでした。

そのように天と地上を行き来しながら、ゆっくりと旅立ちの
準備をしていって、体も心も軽くなって真っ白な光に包まれた
エネルギーの中で安らかに旅立っていくのをイメージで見せて
くれた子もいました。

旅立つときには必ず仲のよかった友達や家族が迎えにきて
くれるとおはなししてくれた子もいました。
その友達や家族は生前のときご縁があっただけではなく、
前世でご縁があった方や動物さんのこともあるそうです。

1006.jpg
伝言屋ひまわりのTOPの少し下に載せている
ココアの写真です。

ココアは2015年12月22日に亡くなった私の愛犬です。
3年と少したった今だから書けることがあります。
当時の日記にはココアの詳しい旅立ちの経緯を
書くことが出来ませんでした。

2015年夏ごろ、ココアの後ろ足に肥満細胞腫ができました。
手術して出来るだけ取り除く処置をしましたが、足の骨と
腱にかぶさるように出来ていたので、すべて取る事は
できませんでした。
幸い悪性度が低い腫瘍だったので、抗がん剤は使用せず
少量のステロイドで様子をみることになりました。

この腫瘍に関しては11月末の時点で寛解と言ってもいいほどに
縮小しました。
ですが以前から持っていた心臓の症状が出てきてしまいました。
11月末までは心臓に雑音があっても元気に過ごせていました。
12月に入ってからは、食欲がなくなってきて、散歩の足取りが
遅くなり、いつもの半分の距離も歩けなくなってきました。
先生と相談して心臓のお薬を処方してもらいながら通院しました。
少し改善できても低空飛行・・・それでも穏やかに過ごしました。

12月下旬ごろから、夜は呼吸が苦しそうな様子が見られるようになり、
酸素呼吸器をレンタルして過ごすようになりました。
酸素のおかげで少しは楽に過ごせている感じだったのですが、
亡くなる3日ほど前から、夜間に1~数時間おきに痙攣の発作を
起こすようになってしまいました。
それからの2日間は発作との闘いでした。
昼間はうそのように穏やかなので通院できるのですが、
夜は呼吸困難と痙攣を繰り返すようになってしまいました。
とても苦しい夜を過ごしました。

なかなか痙攣の発作を止めてあげられることができなかったので、
その夜にココアと本気で安楽死について話し合いました。
翌朝、家族とも話し合いました。

朝にはまた何事もなかったように穏やかに過ごせました。
食欲もあってごはんもちゃんと食べました(^^)
その朝の笑顔のココアの写真が残っています。
通院のため、車まで寝たまま台車で運ばれるココアが
嬉しそうににこにこ笑っていたのを思い出します。
病院に行くことでも、お出かけが嬉しかったのだと思います。

診察でも落ち着いていて穏やかで、昨夜の発作が嘘のようでした。
先生と話し合って、一日預かっていただいて発作を軽減できないか
治療していただくことになりました。
先生の出来る限りのことはしてあげたいという思いを感じて
とてもありがたかったです。

夕方に様子を聞くために先生に電話をしました。
残念ながら昼間にも激しい発作を何度か起こして
しまったそうです。
これ以上は難しい・・というお返事でした。
すぐに病院にかけつけてココアと対面しました。
ぐったりと横になって顔をあげることができずにいるココアを
さすってあげました。
家族とも先生ともよく話し合いました。
ココアを家に連れて帰って看取ってあげるという選択肢も
ありました。
でも、また夜間に激しい発作を繰り返すかもしれない・・・

先生もしばらくココアについていてあげていいとおっしゃったので、
入院室のココアに寄り添って、ココアとふたりで話し合いました。
私たちが出した結果は安楽死でした。
このまま家で苦しい思いをして旅立つなら、先生にお願いをして
安らかに見送ってあげよう・・ということになりました。
主人にも私とココアの決断を伝えて、いっぱい話し合いました。

主人と一緒に、たっぷり時間をとってココアに
話しかけたり撫でてあげることができました。
病院についてから2時間近く・・・
話し合いや、ふれあいの時間をいただけたと思います。
家にいた義母もお見送りにきてくれました。

診察室に抱っこでやってきたココアの目は穏やかでした。
意識もはっきりしていて、私の目をまっすぐに見つめてくれました。
すべてを理解してくれていて、穏やかで優しい目をしていました。
私は心の中で『ありがとう』を言いました。

すると、診察台の上でココアが発作を起こしてしまいました。
痙攣は割とすぐにがおさまったのですが・・・
私には、ココアが『安楽死の処置は間違っていないよ』と示す
ための発作ように思えました。
もう体は限界で天に還る時期なんだと・・・
先生も精一杯手を尽くしてくださって、私たちもココアを
天に還してあげようと思いました。

私たち家族は眠るように旅立つココアを見送りました。
その顔はとても安らかでした。

その後はしばらくココアの写真を見るのが辛かったです。

お悔やみのお花を贈ってくださった友達のみなさん。
素敵なお花を作ってくださって、届けてくださった
お花屋さん。
かわいいお地蔵様を贈ってくださった方も
いらっしゃいました。
他にもたくさんの友達やお世話になったみなさん、
セッションでお世話になったみなさんからも
お悔やみや励ましのメッセージをいただきました。
みなさんからのお気持ちがありがたくて
涙涙の日々でした。
心から支えていただきました。

こうして書くことができるようになったのは、3年という日々と
家族と友達や励ましをくださったみなさん、クッキーとティナ、
家族の猫たちのおかげだと思います。

そして、ココアの先生とは今もクッキーやティナ、
猫たちとお世話になっています(^^)
感謝の気持ちでいっぱいです。

私とココアとの最後の日々はこんなふうでした。

次は、3年たってココアがどんなふうに思ってくれているかを
書いてみたいと思います。


四年たって、オリンピックと伊勢神宮 [ACエッセイ]

平昌オリンピック
羽生選手、金メダルおめでとうございます!!
宇野選手、銀メダルおめでとうございます!!
田中選手、本当に頑張りましたね!!

もう、ずっとリアルタイムで応援していました。
この感動は、言葉では言い表せないです・・・
日本中の羽生選手、宇野選手、田中選手を応援していたみなさん、
そんな気持ちだと思います。
もう夜になってしまいましたが、万感の思いが尽きません。

四年前の今頃も、オリンピック観戦をしていて、フィギュアスケートの
ことと伊勢神宮参拝のことを書いていたことを思い出しました。
ちょうど、またオリンピックと伊勢神宮参拝の記事を書こうとして
重なっていて、面白いなあ~と自分の記事を読み返したりしました。

四年前の記事です。
☆オリンピックと伊勢神宮からの気づき
http://nijino-ehon.blog.so-net.ne.jp/2014-02-08


四年たって、自分も年をとったな~。
選手達も年をとったな~って素直に思いました。

羽生選手のこの四年間はすごかったなあと思いました。
大きな怪我に見舞われて、復帰して、オリンピック目前にまた
大怪我・・・直前の復帰、今年に入ってやっとリンクに立てるようになり、
大会の二週間前にやっと4回転を飛べるようになって・・・
そして金メダルとは!!

この努力と精神力は、並大抵なんてものではなかったと思います。
インタビューで「右足(怪我した)が動いてくれた、右足に感謝しました。」と
言っていました。
それだけ、どれだけ跳べるのか、最後まで足が持ってくれるのかわからないほどの
ギリギリのところだったのだろうと思いました。

本来だったら跳べるはずがないかもしれない。
足が限界になって、転んでしまうかもしれない。

そういうギリギリのところで 
跳べたこと。

最後まで鳥肌が立つような演技ができたこと。
神業としか言いようのないような演技だったと思います。

なんだか、彼自身の底力とともに、応援しているみんなの、
言い尽くせない様々な気持ち、いろんな応援の力が
あったんじゃないかな・・きっとそうだ!!
と思えるほどでした。

なにかが、みんなが、彼を跳ばせた!

そう思えたほどでした。

NHK 平昌オリンピック 羽生選手SP ノーカット動画(実況なし)
https://sports.nhk.or.jp/video/element/video=35722.html

羽生選手FP ノーカット動画(実況なし)
https://sports.nhk.or.jp/video/element/video=35848.html



演技が終わった羽生選手は、なんかもう素に戻っていて、
本当に素直に喜んでいて、険しかった顔がす~っと
穏やかになっていて安心しました。

長年の重圧から解き放たれたかのような、なんかもう、
よろこんじゃえ!というありのままの笑顔でしたね。
本当によかったです。
本当に、心からおめでとうございます。

感動を長々と述べてしまってすみませんでした~。

それくらい、とってもうれしいことでした!
日本中の、世界中のみんなが幸せな気持ちに
なれたと思います。

RIMG0111.JPG
今の私の気持ちはこんな感じです。

伊勢神宮を参拝したときに仰いだ、真っ青な空。

RIMG0112.JPG
様々な努力と苦労を重ねてきて、羽生選手がたどり着いた場所は、
この五十鈴川のように澄んでいたと思います。

人生は 川のようです。

アニマルコミュニケーションの言葉の壁 [ACエッセイ]

日々の読書(マンガも含みます・笑)の中で、はっとさせられる
言葉や場面に出会うことがあります。
自分の体験とぴったり合って、そうそう!とシンクロした
場面をご紹介したいと思います。

私は昔からマンガが大好きです。
この年齢になっても時々レンタルコミックをして、マンガ熱を
発散しています(^^)
今回賃りているのは、日渡早紀さんの「ボクを包む月の光」
高校時代は前作の「ぼくの地球を守って」の世界観が大好きでした。
その次世代版として発刊していた作品を読んでいます。
昔の作品の思いにひたりながら、ああ、自分も若かったな~と思いながら(笑)
前作では語られなかった登場人物たちの気持ちが、次世代版でクリアに
なっていて、幸せな気持ちになりました。

そんな中、まさかこの作品の中でアニマルコミュニケーションとシンクロ
する内容があったとは!
10巻の内容の中に、テレパシーの言葉の壁について描かれている場面が
あります。

少しあらすじを説明させていただきますね。
主人公の少年、蓮は、サイコメトリと言って、物から思念を読み取る
ESPを持っています。大好きなカチコちゃん(女の子)のために、
彼女のお母さんの手帳から、お母さんの過去を読み取ろうとします。

*ここで大事なことをひとつ・・
アニマルコミュニケーションでは、誰かに黙って動物とお話しては
いけないルールがあります。その動物さんの飼い主さんに必ず許可を
いただきます。プライバシーを守るためです。
野生動物や外にいる地域猫さん、飼い主さんがいない動物などは、
状況によっては許可がいらない場合もあるかと思います。
(保護主さんのいるネコさんは注意^^;)
蓮はカチコちゃんのためにこっそりカチコお母さんのサイコメトリをしますが、
これは蓮が子供だからとおはなしの中なので~(^^;)
大人のESPは軽はずみに能力は使わないのではと思います。

カチコちゃんのお母さんがアメリカ人なので蓮は言葉がわかりません。
映画のように場面は受け取れるのに、話している内容が理解できないんですね。

そこに、蓮を守っているガイドさんのような存在(守護天使)の木蓮という
女性がサポートに現れます。
木蓮は、植物とコンタクトできて、気持ちをわかったり、聖歌(キサナド)
で成長を促進できる力を持っています。
実は、蓮にも歌で植物を促進できる力がありますが、まだまだ未熟で、
植物の気持ちを理解できるほどではありません。

その木蓮の言葉です。

「蓮、貴方は今、言葉の壁を越えねばならないわ。
実は、とても簡単なコトよ。 気持ちが先で、言葉がアト。」

そして、蓮が以前、蓮の父の前世の宇宙人だった紫苑と言葉を
交わせていたことを説明します。
そのときは、蓮にはちゃんと日本語で理解できたのでした。
でも、紫苑は宇宙語を話しています。

「気持ち。 植物話せる?
 だったらどーやって歌う聖歌(キサナド)を選ぶの?

 そうよ、気持ちを読むの。

 気持ちって空気に溶けるのよ。

 それに・・・たとえば今、私は日本語を話している訳じゃないのよ?
 本当は蓮が脳内で勝手に日本語に変換してるだけ。

 そもそも私という存在が大気に溶けているの
 (守護天使の木蓮はエネルギー的な存在だと思います。)

 蓮は大気の中から私という気持ちを感じ取ってくれているのよ?

 あとはそれを自分で理解できる言語で表現してるだけ。」

これって本当なんです!

外国のアニマルコミュニケーターさんは、日本の動物と会話が出来ます。
動物は動物語でも、アニマルコミュニケーターさんは、多分、
脳内では英語でお話しているはず。
そして、動物の気持ちを英語で表現して、それを日本人の通訳さんが飼い主さんに
お伝えするという方法を行っている方もいらっしゃるんですね。

多分、私も外国の動物さんとも会話ができ、日本語で理解できると思います。
伝えるには英語ができないんで難アリなんですけど(^^;)
勝手に脳内で理解できる言語に変換・・・テレパシーってすごいですね。

お話は続きます。

「蓮にはもうすでにそれが出来ているって事に気づいていないだけよ。
 もっと言うなら、言葉の壁なんて始めからないの。

 そこにあるのは気持ちだけ。

『気持ちは歌に 歌は空気に
 
 愛は光に』

 今はその逆をすればいいだけなの。
 その場の大気に隠れている歌を探すの。

 その人の旋律が必ず聴こえてくるから。
 耳を澄ますの。

 その場の空気を抱き包むみたいに。

 ほら 聴こえるわ。」

木蓮の言葉に、ほ~って思いました(^^)

本当にそうなんです!(第二段)

私も最初、動物に質問したら映像ばかり見えて、そのむこうの
気持ちがよく理解できませんでした。
映像だけで言葉なし・・字幕なしの映画を見ているみたい・・

でも、だんだんとその映像とともに、言葉ではない気持ちが
伝わってくるようになりました。

嬉しい ワクワク 楽しい!
悲しい 怖い ドキドキ

あったかく毛布に包まれるような優しい感触や、
冷たく戦慄するような緊張感
ワクワクして今にも踊りだしそうな躍動感。

心をしずかに 耳を澄ますこと。

自然の中で 無心に風を受けるような

ただ ただ まっさらな気持ちで。

そういうとき、言葉を感じようとしないでしょう?(^^)

気持ちを感じられるようになったら、後から言葉がついてきました(^^)

そのスイッチがいつ入ったのか、いつ出来るようになったのか?

コツは?と聞かれても難しいです。

ただ、無心に気持ちを感じようとしただけ・・・でしょうか?

木蓮の言うように、気持ちはエネルギー。

大気に溶けて、その動物さんの周囲に漂っています。

その空気感を感じてみようとすること。

一体になってみようとすること。

自分がただ ただ 白くないと感じられない透明な世界。

蓮も後もう少し!という所に来ていて、ほんの一歩が
なかなか難しかったようです。

作者の日渡さんは、テレパシーのこと、本当によくわかって
いらっしゃるな~と感心しました。

この感覚、自分が体験したから、気持ちやエネルギーは
大気に溶けるっていうのがわかります。

春の花や新芽の美しさ
エネルギーもすべて大気に溶けて、私たちに届くから
美しいと思う、感動する。
星の輝きも、夜明けの空の美しさも、すべて。

エネルギーは大気に溶ける。

そして、広がっていく。

「もっと自然に耳を傾けなさい。
  聞こえるのだから。
  もっと風を読みなさい。
  感じられるのだから。
  もっと日の光をあびなさい。
  さわやな風が吹いているよ。
  そして言の葉をつむぎなさい。
  そうしたら広がっていくよ。
  真実の心が
  小さい箱にいたらだめ。
  心を飛ばして 世界へ。」

ナミテントウの言葉です(^^)



夜明け / sor

おかりした写真です。

人と野鳥の境界線 [ACエッセイ]

前回は人と野生動物の境界線について書きました。

今回は私たちにとってより身近で、日常的に姿を見かけることが多い野鳥に
ついて書いてみたいと思います。
・・・というのも、これから野鳥にとっては子育ての季節で、心配になった
方がヒナを拾ってしまうということがあるからです。

野鳥の子育てが始まり、ヒナが巣立ったときに、それが巣立ちヒナとは
わからずに、かわいそうと拾ってきてしまう方がいます。
でも、それは親鳥からヒナを誘拐してしまうことになるんです・・・

巣立ったヒナは大変頼りないように見えるかもしれませんが、茂みなどに
隠れて親鳥から餌をもらい、飛ぶ練習、どんな餌なら食べられるか、
自力で餌をとるという生きるための勉強をしています。
そういう時期に、人がヒナを連れ帰ってしまうと、ヒナは野生で生きるための
大切な学習期間をなくしてしまい、自然に復帰できなくなってしまいます。

ヒナがひとりでいることを見かけでも、近くで親鳥が見守っていますので、
そっとしておいてあげてください。
もし、側溝に落ちていたり、道路のそば、猫などが近くにいて危険を
感じる場合は、見つけた場所からなるべく近くて安全な場所、木の茂み
などに移動してあげてください。
親鳥はしばらくの間、ヒナの姿が見えなくなっても、ちゃんと探していて、
ヒナの声を頼りに探しにきてくれます。
夜にヒナを保護して、一晩保温と給餌で預かり、朝に巣箱に入れてお庭に
置いてあげたら、ちゃんと親鳥が迎えにきて戻れたというケースを聞いた
ことがあります。

ツバメなどで、巣落ちしたヒナを心配なさる方もいらっしゃいます。
そういう場合、ヒナの外傷、弱った様子などを確認して、元気なようなら
すぐに巣に戻してあげるのが一番だと思います。
弱っているようでしたら、とにかく保温してあげて、動物園や野鳥保護の
相談にのってくださる機関に相談してみてください。

私が持っている何冊かの本の中から大切な部分を引用させていただきます。

「飼育動物が人に慣れているのに対し、無主物の野生動物は
全く人慣れしていない。
 著者の口癖は、『野生動物は人が大嫌い、神経質の固まり』である。
 できる限り手を掛けないことが、野生動物にとって親切なことであり、
 野生動物の手当ては、飼育動物の場合と姿勢を切り替える必要がある。

 真っ先に行わばならないことは、安静にし保温することである。
 すぐに餌をやろうとしがちであるが、これは間違いである。
 それは、人の救命救急の場合と同じと考えてもよいだろう。

 ある時、弱った野鳥を拾って持ってた方が、私が収容するダンボール箱を
 準備している間、『今、診てもらうからもう少し待ってネ』とその鳥の
 頭を何度もなでていた。これは人が動物に接する一般的な態度であり、
 実に心優しいのだが、野生動物に対しては逆効果であることはいうに
 及ばない。

 ~野生動物のレスキューマニュアル 森田 正治編 文永堂出版の
  はじめに より」

「野生鳥獣は、軽度の創傷や疾病であれば自然に回復する力を持っている。
 しかし、いったん保護飼養されると、野生に復帰することが困難になる。
 特に巣立ち直後のヒナは、社会化の重要な時期で親と共に行動し、その
 行動を通じて生活の知恵を伝授されている。
 大量の出血、外傷、骨折をしていない限り、すぐに保護せず遠くから離れて  様子を見る。
 外傷が軽度で出血が少量であれば、一時的応急措置をした後、保護した
 場所に戻す。
 発見者及び搬入者は、いかなる状況でも早く保護しなければと思いがち
 だが、保護、救護することが彼等を救うことにはならないことも十分に
 説明する必要がある。

 ~野生動物ファーストエイド・ガイドブックⅡ 日本小動物獣医師会より」




私は数年前に野鳥救護の講習に参加したことがあるのですが、私のような
身近で数羽の野鳥の保護経験、動物園への搬入があるだけだと、まったくの
素人で、本当に講義は難しく、保護救護の大変さを痛感しました。
ですから、獣医師、施設、自宅などでボランティアで野生動物を保護、リハビリ、
野生復帰をなさっている方々を心から尊敬しています。

一羽でいるヒナや、弱っていそうな野鳥を見たら、すぐに保護して助けて
あげたいと思うのが、人として当たり前の優しさだと思います。
けれど、当の野鳥にとっては、人間は恐ろしいものと思っていて、救護
そのものが心臓が止まりそうなほど苦痛を感じている場合もあるんです。
保護、救護しようとしたら、そのストレスで死んでしまう個体もあるそうです。

また、ものすごく弱っているのに、弱みを見せたら命を落とすという
野生の本能のため、一見大丈夫そうに見える個体もあります。
けれど、ちょっと目を離した隙に死んでいたり・・と野鳥はとても
デリケートなのだと思います。

それだけに野鳥の保護、救護は大変難しく、また保護しやすいヒナであっても
それが本当に彼等のためになるかどうか難しい場合も多いと思います。

前回、人と野生動物には境界線が大切で、彼等は自然の中で自立した存在であり、
彼等の生き方を尊重し、必要以上に人が境界線を踏み越えてはいけないことを
書きました。
それは身近に飛び回っているかわいい野鳥たちも同じです。
私たちの庭先や軒先にいたり、身近で巣作り、子育てをしている野鳥たちも
立派な野生なんです。

ペットのようにかわいがって、春、夏などの自然界の餌が豊富な時期にまで
必要以上に餌を与えたり、ヒナに手を出しすぎてしまうと、彼等の生きる力を
奪ってしまうことにもなりかねません。

よく、ヒナがヘビやカラスに襲われてかわいそう・・と思われる方がいらっしゃいます。
TVの野生動物の番組でも、オオカミやライオン、トラなどが草食動物を捕食する
場面はかわいそうで見ていられない、野蛮だと憤りを感じる方もいるかもしれません。
けれど、これは自然な姿で、捕食する動物たちは何日も食べ物にありつけていなくて
餓死寸前だったり、自分自身、自分の子供たちに与えるため、生きるために捕食
しているんですよね。
かわいいと思っている野鳥だって、虫を捕食してヒナに与えています。
虫は素晴らしい完全栄養食なんですね(^^)

そして虫だって、アシナガバチのような狩蜂は他の虫を捕食して、幼虫の
餌にしたり、駆られる虫はたくさんの卵を産んで子孫を残そうと頑張って
生きています。

みんな、生きるために必要な分だけ自然界からいただいて生きていて、
その絶妙なバランスで、一種類だけが増えすぎて、生き物の食べ物が
不足したりしないように上手に成り立っているんです。
それには、捕食動物による働きや、弱い個体の自然淘汰などの働きが
重要になってきます。

そのことをわかりやすく解説してくださっている文章をご紹介します。

「<自然の仕組みから学ぼう>

 虫に食べられる植物にとっては、虫を食べる小鳥が必要です。
でも、小鳥が虫を食べつくすことはありません。それは、小鳥が増えすぎないからです。
毎年子育てをくり返して、ヒナが無事に巣立ったとしても、自立、移動、越冬などの
試練が続くので生きのびるのはわずか。一方で、そうして弱ったり死んだ鳥が食物と
なって、肉食性や雑食性の鳥などの命を支えているのです。
 命の大切さは、このようにさまざまな生物の共存と命のつながりとともに再認識
されなくてはならない時代になりました。
2005年から国連「持続可能な開発のための教育の10年」がスタートし、持続可能な
社会を作ることは人類共通、最大の命題となっていますが、持続可能な自然のしくみ
から学ぶべきことが少なくありません。

~公益法人 日本野鳥の会 BIRD FANサイトより
http://www.birdfan.net/about/faq/find_hina.html

こちらも参考にしてください。
☆野鳥の子そだて応援(ヒナを拾わないで)キャンペーン
http://www.wbsj.org/activity/spread-and-education/hina-can/



私たち人間は、自分の軒先に巣を作った野鳥のヒナは全部無事に巣立ってほしいという
願い、そして襲われたならヘビやカラスに対して怒りをもちます。
それは自然なことですし、人として当たり前の感情です。

けれど、私は巣落ちして死んでいた小さなヒナ(巣立つには随分小さかったです)
を後からカラスが拾って飛んでいくのを見て感じました。
きっとそのカラスのヒナのごはんになるのでしょう。
また、死んでいる虫の周りにアリがたかっているのを見ました。
巣に運んで幼虫の餌にするのでしょう。
また、死体をシデムシという虫が分解してくれます。
野山で死んでいる野鳥や虫、動物の死体は、必ず次の命を生かす糧になることを
知りました。
無駄になる命はひとつとしてないと思います。

もし、私たち人間が捕食されるいくつかの種を過剰に保護して、すべて大人になれる
ようにして数を増やしたり、その種を捕食する肉食獣や野鳥を駆除したら、
いずれ、保護した種が捕食する虫や植物は急激に減って、生態系のバランスを
欠いてしまうと思います。

ヒナにとっては、事故にあったり、捕食されたり、すべてが大人になれないように、
弱い固体は、自然界では長く生きてはいけません。
つばめなどの渡り鳥の場合は、その後、海を渡る長き旅に耐えられる体力と知識を
たくわえ、また戻ってきて子育てできるくらいの力を持てるように成長しなくては
命をつないではいけないのです。
その人生の道筋に、社会化の場面で人が手助けしすぎてしまったら、大人になれた
としても、長旅の間で簡単に命を落としてしまう弱い鳥になってしまうでしょう。
長い目でみたら、厳しいようですが、手助けが手助けになくなってしまうという
こともありえると思います。

また、人や環境のために絶滅の危機に瀕するまで減ってしまった種に関しては、
回復できるまでに手助けすることは大切だと思います。
けれど、彼等が自分自身でやっていけるような数、環境が回復した場合は、
じょじょに自然界にまかせていく方針がベストではないかと思います。

保護したけれど、障害がのこってしまい野生復帰が無理な動物や野鳥は、
施設やボランティアさんのお宅で終生飼養されていることもあるでしょう。
そういう子達は、その存在自体が自然の大切さを人々に伝えてくれる役割を
担っていることを知っていると思います。
そして、次こそは大空を駆け回り、飛びまわれるように生まれ変わりたいと、
または人との絆を感じて、人と暮らす動物に生まれ変わろうかなと感じてくれて
いるかもしれません。
それは、最初から人と暮らしている動物たちとはまったく違う姿勢です。

やっぱり、「野の鳥は野に」


宮島沼のルールです。

それは、大自然の中であっても、住宅街に住む身近な野鳥にとっても
大切なことです。

野に生きる野鳥たちと話していたら、毎年命をつないで戻ってこれた渡り鳥、
立派に巣立った若鳥を私に見せにきてくれます。
そして、誰の力も借りず、こうして自分の力で生きていることを誇りに思い、
高らかに歌い、自然界で生きることを心から愛しているのを感じます。

野に生きる動物、鳥、虫たちは、だからこそ美しく、私たちを魅了してやまないのです。
私たちが忘れかけている自然との調和、バランス、そして美しさを、彼等は
自分の生を通して常に私たち人間に語りかけてくれています。

彼等の生き方を尊重し、境界を守って見守り、彼等の生きる世界を
大切にしてあげてください。
心からよろしくお願いいたします。

人と野生動物の境界線 [ACエッセイ]

人と自然、野生の生き物との間には境界線がある。

そのことに気づかせてくれたのは、アシナガバチの観察でした。

アシナガバチには、人を刺す針があります。
そのハチ毒に何度も刺されるとアナフィラキシーショックを起こすこともある
危険なものでもあります。
彼女たちは私たち人間を殺せる武器を持っている。

そういうハチたちが針を使うときは、獲物をとるときや、自分たちの巣を攻撃
されたとき、自分たちが生きるため、守るためです。
そばに人や動物がいても、自分たちに危害を加えなければ、意味のない攻撃は
してきません。

私がアシナガバチや巣の観察をさせてもらうとき、ハチはこれ以上近寄っては
ほしくないという明確なサインを出してきます。
間近で観察したくてワクワクしながら、こちらの気持ちが前のめりのときは、
ハチは露骨に嫌な感じをうけとって、そばに近寄らせてはくれません。
羽根をV字型にして怒っていることを示したり、すぐに飛んでいってしまいます。

私は自分がハチに対して謙虚な気持ちを忘れていたことに気がつきます。
もし、そのサインを見逃してもっともっとと近づいたら容赦なく刺されていたと
思います。

今度は、ワクワクはしていても、ハチにこれくらいなら大丈夫?と尋ねながら
ハチの気持ちに寄り添って、ハチの様子とエネルギーを全身で感じながら、
ゆっくりと平らな気持ちを保って静かにしています。
ハチ自身の羽が水平で態度は穏やかです。気持ちが通じました。

ハチがOKを出してくれた距離でじっと動かないようにしながら、静かに観察や
写真を撮らせてもらいます。
そうすると、ハチはまるで私がそこにはいないかのように自然なしぐさを見せて
くれます。
私はまるで木のようになって、ハチと一緒にそこにいます。
それは至福の時間です。

どんなに観察を許してくれたとしても、ある一定の距離、気持ち以上には
ハチは私を近寄らせてはくれません。
それは、どんな野鳥でもそうです。
親しげに近寄ってくれて、美しい、かわいい姿を見せてくれても、ある一定
以上は決して近寄らせない、私が近寄ってくるなら逃げてしまいます。

彼らは言います。

「私たちは自然の中で自分の力で生きている。
 そして、誰にもそれを侵害されたくない。
 お互いの生活と距離を保った上で、尊重して生きていくこと。
 それが共生。」

今は、森林の環境変化で、野生動物たちが生きていくには難しくなっています。
森林は少なくなり、山の実りも少なくなって、山里ぎりぎりに人が暮らしています。
人と野生動物の暮らす境界線があいまいになり、重なっていて、お互いにトラブルが
絶えません。
田畑を荒らされたり、人里に出没して危険だったり、車にぶつかってきたり・・・

私は野生動物への餌付けには反対の姿勢を持っています。

ふるさとの北海道の宮島沼には、毎年多くの渡り鳥がやってきます。
その宮島沼のルールに私は心から賛同しています。

☆宮島沼水鳥・湿地センターさんのFacebook

https://ja-jp.facebook.com/MiyajimanumaWetlandCenter/timeline?filter=3

☆水鳥にエサをあげてはイケナイ10の理由

http://www.city.bibai.hokkaido.jp/miyajimanuma/02_what/02_what_img/what10_img/food.htm
 
確かにエサを求めて近寄ってくる野鳥やリス、キツネ、タヌキなどの野生動物は
かわいいです。
彼らと距離が近くなって愛情が増したり、気持ちがあたたかくなるかもしれません。

けれど、ひとたび人からもらう食べ物に依存するようになってしまった野生動物は、
自分でエサを取ることを忘れ、人を恐れなくなり、人里に近寄りすぎてしまいます。
一箇所で増えすぎてしまって、生態系のバランスを崩してしまう場合もあります。

人や車を畏れないあまり、不幸な交通事故にあう個体も増えているそうです。
サルになるとゴミをあさったり、人を襲ったり、田畑や民家に入り込んで荒らし
たりすることもあります。
数年前、静岡でもサルに襲われた人が何十人にものぼることがありました。

餌付けではなくても、森などに放置していた生ゴミのためにクマが出てくるように
なることもあるそうです。
クマなどの大型動物になると、もう駆除対象になってしまいます。

本来なら人を恐れ、一定の距離以上は近寄ってこないはずだった野性動物たちが
人が食べ物を適切に管理しなかったり、餌付けという形で境界線を越えてしまった
ばかりに、近寄ってきた動物をの命を危険にさらすことになってしまうと思います。

牙がある動物であっても、本来の野生をもったままなら、むやみに襲うことはなく、
人の気配を感じたら自分から逃げたり、遠ざかるのが自然のことだったと思います。

昔は、私たち人間も自然な形で野生動物を恐れ、必要以上に彼らの生活を侵害
することはなかったと思います。
それが適切な形での共生であると私は思います。

彼らを本当に大切に思い、守りたいと思うのなら、ペットのようにかわいがるのではなく、
彼らは自然界で自分自身の力で生きている立派な存在であることを尊重してほしいと思います。

彼らの生活、生き方、食性を理解し、お互いに適切な距離を保って、彼らが自分の力で
生きていけるのを見守ること、彼らが生きていける自然を広く大きな形で守っていくことが
大切だと思います。

私はアシナガバチと距離を保ちながら、彼女たちの一生を見守らせてもらいました。
確か一定以上には近寄れませんが、それでもアシナガバチたちは、私に最大限の
愛情を示して一緒に過ごしてくれました。

「お互いの生活を決して侵害しない。」その厳しくも優しい約束を守って。

彼女たちが示してくれた信頼と愛情は、手で触ることは決して出来ません。
けれど、心で感じられる、とてもあたたかいものでした。

そばでかわいがることだけが愛情ではありません。
お互いの立ち居位置と世界を守って、その上で人と野生動物は畏れ敬いながら、
愛情を持って見守っていくことが出来ると私は信じています。

RIMG0007.JPG

アニマルコミュニケーションを受けていただく方の心の準備について [ACエッセイ]

少し前に「伝言屋ひまわり」のお知らせサイトで、ボランティアのみなさんあてに
セッションを受けていただく前の注意事項を訂正したのでよくご理解いただいた上で
お申し込みをお願いしますとお伝えしました。

☆ボランティアセッションについて
http://nijinofune.web.fc2.com/page/volunteer-ni-tuite.html

それには大切な理由があります。
ボランティアさんだけではなく、一般の飼い主さんにも当てはまりますので、
みなさんにご理解いただけるとうれしいです。

たとえば、保護猫さんが粗相などの問題を起こしていることには、色んな
メッセージがこめられていることがあります。
実際にその猫さんとおはなししてみないとわかりませんが、寂しさなどの
気持ちからだったり、生活環境を改善してほしいからだったり、一緒に
暮らしている方の体調や気持ちの心配だったり実に様々です。

猫さんの気持ちを理解して環境を整えたり、預かり先を変えてまったく
違う環境にしてあげたら、癖がぴたりととまったというケースもありました。
その猫さんにとって、心配している環境や人から離れたため、粗相でメッセージを送る
必要がなくなったからでした。
セッションをして、一方的にただ粗相しないでほしいと言ったり、猫さんの言うとおり
環境を変えればいいということでなくて、相手は心を持った存在だということを
大切にしてあげなくてはならないと思います。

どちらにしても、多分預かり主さん(里親さん)に向けてなんらかのメッセージを
発している可能性があり、その場合、預かり主さん(里親さん)が本当に猫さんが
そう言っていると気持ちを受け止めてあげたり、環境の改善を望んでいる場合は、
そこを整えてあげるなど、形だけではなく心から向き合ってあげないと改善
されないこともあるんですよね・・・

その場合、いくら保護主さんが猫さんの話を聞いてあげても、実際にお世話をしている
預かり主さん(里親さん)と猫さんとの関係が大切になってくるので、預かり主さん
(里親さん)のメッセージの受け止め方次第になってしまうと思います。
保護主さんが預かり主さん(里親さん)にお伝えしても、たとえば生活環境を整えたり、
猫とよく遊んであげたり、接してあげることからお願いしても、そうする時間がなかったり、
気持ちがなかったら、そこからもう継続することは難しいですよね・・・
また、猫さんにはそれが心からしてくれている行為なのか、形だけのことなのかを
瞬時にわかっています。

私が預かり主さんや里親さんにどれだけアニマルコミュニケーションへのご理解と
ご協力を求められるかが大切です、いくら保護主さんでも、実際に猫と接しているのは
里親さんと預かり主さんです、とサイトに書いた理由がこれにあたります。

そして、どんなに問題を解決したくても、預かり主さんや里親さんにアニマルコミュニケーションを
信じて受け入れてほしいと押し付けることができないんですよね・・・
いくら効果があったからと体験談をお伝えしても、当のご本人が本当に受け入れようと思って
くださらないと、セッションをしても動物がおはなししただけで、特に改善なく終わってしまう・・
ということもあると思います。

だから、ボランティアさんや飼い主さんたちには、動物の関係者の方に無理にセッションを
お勧めしないようにというお願いもしていきたいです。
セッションのおはなしをして、信じてみよう、受け入れてみよう、努力してみようとみなさんが
思えなかったら、無理におはなしを進めないほうがいいと思います。
もし、セッションをしても、動物さんが預かり主さん(里親さん)の生活環境の改善や、暮らしや
体調の心配などをおはなししてくれても、何でそんなことまで話されたのか・・と戸惑われる方も
いらっしゃると思います。

また、大切な動物さんを亡くされた方も同様です。
私自身も先代犬と悲しいお別れをしてからセッションを受けるまでに8年という
月日を要しました。
もうアニマルコミュニケーションの勉強を始めていましたし、自分でも練習で
友達の動物とおはなしをさせていただいても、自分の心を整理して、天国の
愛犬のメッセージを受け止めようと思えるまでには勇気が必要でした。

結果的にセッションをしていただいて本当によかったです。
天国からの愛犬との絆を再確認できて、今も一緒に生きている、
見守ってくれていると思うことができました。
多分、私にとっては8年という月日が必要だったのだと思います。

今日、私の天国の愛犬が教えてくれました。

「アニマルコミュニケーションというのは、必要なところに、
必要なときに、動物からのメッセージを受け取るタイミングが
来たときに、効果が発揮されるんだよ。

飼い主さんが心から信じられたときに、動物からのメッセージを
受け止められて、動物との絆が深まって、一歩前に進めるんだよ。

必要なときにメッセージが訪れるというのは、動物との出会い、
別れ、行動、病気・・・
すべては偶然ではなくて、私たちが関わった人と一緒に幸せに
なりたいから様々なメッセージを送っているんだ。

もし、今回伝わらなかったとしたら、動物たちはみんな、待っているだろうと思う。
またの機会を待ち、また何度でもメッセージを伝えようと挑戦する。
いつか伝わると信じて・・・

それをいつ汲み取ってくれるのかは、飼い主さんの心が本当に開けたとき。
だからこそ、必要なときにしかメッセージは届かない。
飼い主さんの心が開いて、動物からのメッセージが届いたときこそが、
心が通じ合えた瞬間・・・
そうしないと本当のメッセージは届かないよ。」

私もこの言葉を大切にして、通訳者として頑張っていきたいと思います。



魂の速さでゆっくりと♪ [ACエッセイ]

今日は穏やかな雨の朝です。
こんな静かな時間に書いてみたいことがありました。

みなさんは、大切な家族や動物を亡くされたとき、他にも心の痛みを伴うような
悲しい喪失があったときはどう過ごしていますか?

無理にそのことを忘れようとして、いっぱい仕事や予定を入れて忙しく心と体を
動かしてしまってはいませんか?

確かにそれは気分転換になったり、ずっと悲しみに沈んでいて落ち込んでいるより
いい方法のひとつかもしれません。

けれど、ずっとずっとそれを続けてしまうのは心配です。

ある時点で、魂が体の速度についていけなくなって、体がもうだめ~!と
ストップのサインを出すことがあります。
それは体の不調だったり、心が疲れてしまって、どうしてもうまく動かなくなって
しまうことだったり、様々な形で現れることがあります。

13年前、私は先代犬のバーニーズのノエルと悲しいお別れをしました。
その時、すぐに今の愛犬のココアを子犬で迎えて、ココアのおかげで自分はもう
大丈夫と思い込もうとしました。
また、仕事やボランティアなどで日常を忙しくしていました。

やっぱりひずみがきたんですね・・・
ある出来事がきっかけで、心と体のバランスが崩れてしまい、いろんなことを
中断しなくてはならなくなりました。
当時、私に関わっていたみなさんには本当にご迷惑をおかけしたと思います。
それでも、私には一旦何もかも休んで休養することが必要でした。
半年間カウンセリングに通って、自分自身を見つめ、心と体をゆっくりと休めました。
ココアはずっと私に寄り添っていてくれました。(^^)
その当時の体験が、今、アニマルコミュニケーターとして役立ちたいという源になっています。

12年前、ペットロスの講演会で、あるおはなしを聞きました。

☆共に暮らしたペットの死を看取る~PLMさん主催の講演会を聞いて (2002・11・11)
http://runba.fc2web.com/page/kouennkai.html



その講演会を聞いたときに私が書いた内容はこちらです。
「るんば」というのは当時の私のハンドルネームです。

============================
  
「 山崎先生がアメリカの老人病院でみかけたパンフレットのお話をしてくれました。
そこには、こんな言葉が記されていたそうです。
「死別の哀しみに対して、自分を大切にしましょう。自分の世話をしましょう。
でも、あせってはいけません。」

 また、こんなお話も記載されていたそうです。
ある探検隊が部隊を組み、地元の民をやとってすすんでいたそうです。
ある地点で、地元の民は全く動かなくなってしまたそうです。
いくら日当を倍にしても動こうとしない人達。
ある一人の男がこういったそうです。
「あんまり急ぐと魂が追いつけなくなる。」

 この言葉に心打たれました。
それは、少し前の私の姿そのものでした。
 愛犬ノエルの突然の死の悲しみを十分の味わいつくすことなく、
自分のこと以外に忙しく時間と心を使い尽くしていた私。自分を
大切にする余裕も無かった忙しい日々。まさに、魂が追いつけなくなっていたのです。
立ち上がることもままならないほど心身ともに疲れ切っていました。
 そうなってやっと、立ち止まって自分を振り返り、大切にする
時間をもつことができたのです。

 悲しいとき、辛いときは決して無理はしないで自分を大切にしていいんだ。
あせらずにゆっくりと。
自分の心と体に魂がついていける速度でゆっくりと。

 動物たちのほうが魂の速度を良く知って生きている気がします。
若くて元気なとき、老いては穏やかに。病気のときはゆっくりと。
先のことではなく、「いま」を懸命に生きている彼ら。
その純粋な命に教えられる事、癒される事,本当に数多くあります。
自分をゆっくり大切にすること。
彼らに教えられた気がしてなりません。(^^)

============================

当時の私は、心と体を忙しくしていて、そこに魂がついていかなかったのだと思います。

先日、アマゾンの長老さんのラオーニさんたちのおはなしをお伺いして、
RFJの南研子さんの著書を拝読させていただいて、先住民の方々は
人をはじめ、生きているものがどのような時間の流れで生きていくのが
自然なのか、それがどんなに大切なことであるかを知っているということを
また教えていただけたような気がします。

私たち現代人は、悲しいときにも辛いときにも、疲れているときにも、それを
自分に許していないのではないでしょうか。
自分が今、何を感じているのか、心と体の声に耳を傾けてあげて、
ただ、それとともに一緒にいてあげること。
それがどんなに大切であるか、また、生きている命にとって自然な当たり前な
ことであるのかということです。

そうしていると、自然と魂は明るいほうに向いていきます。
草木が太陽の光を求めるように。
静かにゆっくりと日の光をあびて、十分に元気になったら、また空に向かって
枝葉を伸ばせばいい。
草木は凍てつく冬のときにはじっとして生命力を蓄えて、春になったら息吹を
吹き返します。

自然は生まれながらにして、生きる力、力の入れどころを知っています。
動物たちも先住民の人たちもそういう自然の流れを、ただ当たり前に受け入れて
生きているのだと思います。

たまには、魂の速さに合わせて、ゆっくりと進みましょうね。

RIMG0009.JPG
photo by chihiro

今日は雨の日。
ココアもティナちゃんも、こういう日はあっためあってゆったりしています♪



オリンピックと伊勢神宮からの気づき [ACエッセイ]

2014年、冬季オリンピックが開催されています。
フィギュアスケート・ファンの私は、団体戦の予選から応援しています。
フィギュアの日本選手たちのインタビューを聞いていていつも思うのは、
みな、他の選手との戦いや良い成績を残すということだけではなく、何よりも
自分自身と戦っているということでした。

団体戦の予選で、ペアの高橋選手と木原選手は結成一年目にして
オリンピックの舞台に上ってきました。
ちょうど予選の2月6日は、一年前にコンビを組んだ記念日だったそうです。
二人の選手がオリンピックに立つことを目標に、こつこつと努力を積み上げて
きたもの、そして、今出来る自分たちの演技のベストを尽くそうとしている
姿に感動しました。

男子の羽生選手は、常にマスコミから注目され、世界最高得点のマークを
期待されながらも、プレッシャーに負けることなく、自分らしい演技が
出来て素晴らしいと思いました。

カナダのパトリック・チャン選手がリンクに立ち、曲が始まる前に見せた
静かな表情は、すっと自分の世界に入る透明感が感じられました。

選手たちは、周囲の期待や声に翻弄されることなく、常に自分自身を見つめ、
理解し、自分自身に打ち勝とうとしているのだと思います。
大切なのは、自分自身を深く知ること、誰よりも自分を理解し、自分の
弱さも強さも大きな心で包み込んで、乗り越えてゆくことなのだと気づかされます。
オリンピックを応援していて、私自身も勇気をもらっています。

私は、アニマルコミュニケーションを勉強し始めて今年で8年目になります。
お仕事としてさせていただいて3年目です。

それまでにも、動物のこと、スピリチュアルなこと、ヒーリングなど、
さまざまなことを学んできました。
素晴らしい先生たちに巡り会い、育てていただきました。
動物たち、そのご家族のみなさんも私にとっての先生でした。
自分で経験する、そのひとつひとつが私にとっての先生だったんです。

その学びの中から感じたことは、みんな簡単に私に答えをくれるということは
なかったということです。
すべてが私自身に考えさせ、自分自身で気づき、経験することから学ばせて
くれました。
そのことに気づかせてくださったすべての方、すべてのことに心から
ありがとうございます。

時にはこれ以上は無理かもしれないと感じることもありました。
けれど、最後の力を振り絞ったあと、仰いだ空の青さ、すがすがしさは
忘れられません。
自分は力を尽くしたのだから、どう転んでも決して後悔はしないと思って
見た空は、何にもかえがたいものでした。
そういうとき、私はいつも全力でした。
こういう気持ちは、やるだけのことをして、あとは降参!という気持ちに
似ています。
すると、不思議と事態が好転し、救われる思いをしたということが何度も
あります。
人事を尽くして、天命を待つ、という言葉の意味を経験したような気持ち
でした。

私はこういうときには素直になるしかなく、自分のベストを尽くすしかなく、
裸の自分になってみて初めて、自分という本来のものに向き合えたような
気がします。
私というものの弱さ、小ささを、お天道様の前に差し出して祈る気持ちに似ています。

昨年の春、いろいろ悩むことがありました。
その頃にふと、ボランティア仲間さんたちと伊勢神宮に参拝する機会がありました。

RIMG0048.JPG

五十鈴川2.JPG
photo by chihiro

五十鈴川のほとりで身を清め、神宮の木々の間、参道を歩きながら、ざわざわと
した気持ちは、しんと静かになっていきました。

RIMG0034.JPG

庭園.JPG

RIMG0038.JPG
photo by chihiro

そして、天照大御神の内宮の白いとばりの前に立ったとき、心は真っ白になっていました。
ニ礼ニ拍手でお参りをしようとしたとき、さあ~っと風が吹いて、内宮の
奥に通じる玉砂利の道と、お宮がさっと見えました。
まるで、心の中にまで風が吹いたような気がしました。
このときの経験と、感じた気持ちは言葉では表せず、今でも忘れられません。

これは、私独特の感覚なのかもしれませんが、アニマルコミュニケーションで
動物と向かい会う時、私は昨年の春、内宮の前に立ったときのような気持ちで
向き合います。

神様の倉.JPG
小さな神様の倉の写真です。

動物の前で、私はこういう人間です。私の心の弱さもすべて動物はお見通し
だから、自分を飾ることなく、偽ることなく、恥じることなく、恐れることなく、
私という人間を動物の前に置いてみるんです。

私はこういう人間です。こんな私だけど、一緒におはなししてくれますか?
あなたの心を聞かせてほしいんです。

そうやって対話が始まります。

ただ、同じ命として向き合います。
それは、犬でも猫でも、クジラでも小さなハチでもみんな同じです。
私にとって動物は尊敬すべき相手なんです。
私よりずっと純粋で、正直で、勇気のある存在です。
動物たちに教えていただく、学ばせていただくという気持ちで向き合っています。

動物たちは、人間の心を映す鏡です。
その心、体を使って、私たち人間のさまざまな問題点に気づかせてくれます。
動物たちは、心から、魂から私たち人間のために、私たち自身の幸せのために
メッセージを送ってくれている。
それは、人と暮らす動物たちだけではなく、自然や植物、野のいきものたちも
等しくそうであるということを知るようになりました。

アニマルコミュニケーション8年目にして、私はようやく実感として
そのことを学ぶことができました。
本当に長い年月です。

私はアニマルコミュニケーションが大好きです。
この人生を豊かにしてくれる命たちとの対話を、ずっとずっと続けて
いきたいです。

私のアニマルコミュニケーションはこれから、そして、まだまだです。

五十鈴川1.JPG


=======================

長い間、お休みをさせていただき、どうもありがとうございました。
おかげさまで、私たち家族も動物たちも落ち着きを取り戻して
元気にしています。
病気の猫のふじちゃんも安定して過ごしてくれています。
なるべくふじちゃんのそばにいられるように、しばらくの間、
対面セッションは公民館の平日(月、火、水)で受付させていただきます。
宝台院の対面セッションと青空セッションはお休みさせていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

また、みなさんと動物さんのお役に立てられるようにがんばります!
よろしくお願いいたします。

                              伝言屋ひまわり 千尋

<千尋のアニマルコミュニケーションサイト>

bana.gif








『旅のチカラ ”死 ”が与えてくれる力を探して』を観て [ACエッセイ]

昨夜21時から放映されたNHK、BSプレミアムの『旅のチカラ ”死 ”が与えてくれる力を探して』という番組を観ました。
作家の高橋源一郎さんがイギリス、ヨークシャー州リーズという町にある「マーティン・ハウス 子供ホスピス」に訪れるという内容です。

マーティン・ハウスは設立25年でもっとも古い子供ホスピスのひとつだそうです。
寄付やチャリティイベントで運営されていて、滞在するご家族には一切費用はかからないそうです。

マーティン・ハウスはのどかな田園風景が広がる美しい場所にありました。
建物は外観も中も病院、ホスピスというイメージはちっともなく、アットホームであたたかな雰囲気にあふれていました。
スタッフの方もみな私服でスタッフバッチをつけているだけで、滞在なさっているご家族との区別がつかないくらいで、みなさんがまるで気軽にそこを訪れている家族の集まりのようでした。
子供さんの部屋も、ご両親が滞在なさる部屋もかわいらしくて素敵でした。
みんなで過ごせるサンルームや食堂でも、普通のちょっと大きなお家と変わらない雰囲気で、みなさん笑顔で食事をし、おしゃべりやゲームやお散歩を楽しんでいました。
だいたい、みなさん一週間くらい滞在して、困難な病気に立ち向かう気持ちをここで分かち合ってほっとしたり、また勇気を持って自宅に戻っているそうです。
小さな頃から何回もここを訪れて大きくなったという19歳の青年もいました。

「ここは死を待つ場所ではなく、豊かに生きる場所。」

マーティン・ハウスというはそういう場所なんだそうです。

高橋さんが15歳のキャットちゃんという女の子にインタビューしたときの
彼女の言葉です。

「とくかく前向きになること。
 子供だけじゃなくて、周りの大人がハッピーだったら、
 子供もハッピーな気持ちになるんです。
 あまり気にしすぎず前向きにやっていくんです。
 くよくよしたって状況は悪くなるだけ。だから心配しないで。」

キャットちゃんは笑顔でこう話していました。

マーティン・ハウスのそばには、自分の牧場から動物を連れてきてくれる
メアリーさんという女性がいました。
彼女は保護された動物たちをお世話しながら、週1~2回位、子供たちと
動物のふれあいのために訪れているそうです。
子羊や鶏、ひよこ、大きなうさぎなど、いろんな動物たちが来ていて、
子供たちは実に楽しそうでした。

メアリーさんが言っていました。

「ここの動物たちは病気の子供たちがわかっていておとなしいんです。
 今まで子供たちに危険だった動物はひとつもありません。」

マーティン・ハウスで天国に行ってしまった子供たちのことも
放映していました。
メアリーさんが連れてきた子羊と一緒にすやすや眠ったトーマス君は
その3日後に天国に召されたそうです。
たった生後3ヶ月でした。
メアリーさんはその子羊にトーマスという名前をつけて、お母さんの
カーティスさんとの交流は今でも続いているそうです。
カーティスさんは、マーティン・ハウスでの時間のおかげで、悲しいだけ
ではなく、トーマス君のことを『美しい思い出』にすることができましたと
話していました。


最後に、マーティン・ハウスの最初の設立に関わったレノア・ヒルさんの
言葉です。

「同じ病気で亡くなったある兄妹がいました。
 自分たちの身に何が起きているのか二人ともよくわかっていたのですが、
 死に直面しながらも、私たち大人に贈り物をのこしていってくれました。
 とても愛らしい姿のままで、みんなにお別れを告げていったんです。
 私もあんなふうに死ぬことができたらと思います。

 多くの子が尊厳を持って自らの死と対峙していきました。
 子供たちは自分の未来に待ち受ける「現実」について
 大人よりうまく向き合っていけると思うんです。
 そして、子供たちは『今を生きる』という才能があります。」

そして、レノア・ヒルさんはマーティン・ハウスについてこう語りました。

「私はここ以上に様々な感情を経験できる場所は知りません。
 こんなに深い『苦痛』を味わったこともなければ、
 これほどの『喜び』を味わった経験もありません。
 だから、あなたがさっき言ったように子供たちは素晴らしい
 『ギフト』を与えてくれる存在なんです。
 彼らのそばにいることができて幸せでした。」

レノア・ヒルさんの著書「死ぬゆく子供たちと家族のためのケア」の
一節の言葉です。

「親の中に子どもは生き続ける。」

=============================

昨日、5月の一周忌におまいりした友達のお母様から写真が届きました。
友達の笑顔の遺影と共に友人一同が一緒に写った写真です。
心のこもったお手紙が添えられていました。

大切な人を亡くすということはとても悲しくつらいことです。
けれど、この写真とお手紙をいただいた日に、この番組を観ることが
できたのは、私には天国からの贈り物に思えたのでした。

”死 ”が与えてくれる力とは、遺された私たちが『今を生きる力』
を失わないこと。

体が不自由な4歳のベアトリスちゃんが窓の外のお気に入りの風景を
指差して、「ほら、あそこに木が見えるでしょ。あそこに飛んでいける
ような気がするの。虹が見えることもあるのよ!」と笑顔で話していたように。

どんなときでも自然や人や他のいのち、いろんなものとのつながりを感じ、
自分が今、ここに生きている、ということを大切にすること。

それが、生きるということ。

天国にいる大切な人が見守ってくれているから。
私たちは、今を大切に生きていかなくちゃいけないですね!


rainbow 2 / nickyscunny


======================

<千尋のアニマルコミュニケーションサイト>

現在、通常通りセッションの受付をしています。
また、頑張りま~す!
よろしくお願いいたします。

bana.gif




前の10件 | - ACエッセイ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。