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人と野生動物の境界線 [ACエッセイ]

人と自然、野生の生き物との間には境界線がある。

そのことに気づかせてくれたのは、アシナガバチの観察でした。

アシナガバチには、人を刺す針があります。
そのハチ毒に何度も刺されるとアナフィラキシーショックを起こすこともある
危険なものでもあります。
彼女たちは私たち人間を殺せる武器を持っている。

そういうハチたちが針を使うときは、獲物をとるときや、自分たちの巣を攻撃
されたとき、自分たちが生きるため、守るためです。
そばに人や動物がいても、自分たちに危害を加えなければ、意味のない攻撃は
してきません。

私がアシナガバチや巣の観察をさせてもらうとき、ハチはこれ以上近寄っては
ほしくないという明確なサインを出してきます。
間近で観察したくてワクワクしながら、こちらの気持ちが前のめりのときは、
ハチは露骨に嫌な感じをうけとって、そばに近寄らせてはくれません。
羽根をV字型にして怒っていることを示したり、すぐに飛んでいってしまいます。

私は自分がハチに対して謙虚な気持ちを忘れていたことに気がつきます。
もし、そのサインを見逃してもっともっとと近づいたら容赦なく刺されていたと
思います。

今度は、ワクワクはしていても、ハチにこれくらいなら大丈夫?と尋ねながら
ハチの気持ちに寄り添って、ハチの様子とエネルギーを全身で感じながら、
ゆっくりと平らな気持ちを保って静かにしています。
ハチ自身の羽が水平で態度は穏やかです。気持ちが通じました。

ハチがOKを出してくれた距離でじっと動かないようにしながら、静かに観察や
写真を撮らせてもらいます。
そうすると、ハチはまるで私がそこにはいないかのように自然なしぐさを見せて
くれます。
私はまるで木のようになって、ハチと一緒にそこにいます。
それは至福の時間です。

どんなに観察を許してくれたとしても、ある一定の距離、気持ち以上には
ハチは私を近寄らせてはくれません。
それは、どんな野鳥でもそうです。
親しげに近寄ってくれて、美しい、かわいい姿を見せてくれても、ある一定
以上は決して近寄らせない、私が近寄ってくるなら逃げてしまいます。

彼らは言います。

「私たちは自然の中で自分の力で生きている。
 そして、誰にもそれを侵害されたくない。
 お互いの生活と距離を保った上で、尊重して生きていくこと。
 それが共生。」

今は、森林の環境変化で、野生動物たちが生きていくには難しくなっています。
森林は少なくなり、山の実りも少なくなって、山里ぎりぎりに人が暮らしています。
人と野生動物の暮らす境界線があいまいになり、重なっていて、お互いにトラブルが
絶えません。
田畑を荒らされたり、人里に出没して危険だったり、車にぶつかってきたり・・・

私は野生動物への餌付けには反対の姿勢を持っています。

ふるさとの北海道の宮島沼には、毎年多くの渡り鳥がやってきます。
その宮島沼のルールに私は心から賛同しています。

☆宮島沼水鳥・湿地センターさんのFacebook

https://ja-jp.facebook.com/MiyajimanumaWetlandCenter/timeline?filter=3

☆水鳥にエサをあげてはイケナイ10の理由

http://www.city.bibai.hokkaido.jp/miyajimanuma/02_what/02_what_img/what10_img/food.htm
 
確かにエサを求めて近寄ってくる野鳥やリス、キツネ、タヌキなどの野生動物は
かわいいです。
彼らと距離が近くなって愛情が増したり、気持ちがあたたかくなるかもしれません。

けれど、ひとたび人からもらう食べ物に依存するようになってしまった野生動物は、
自分でエサを取ることを忘れ、人を恐れなくなり、人里に近寄りすぎてしまいます。
一箇所で増えすぎてしまって、生態系のバランスを崩してしまう場合もあります。

人や車を畏れないあまり、不幸な交通事故にあう個体も増えているそうです。
サルになるとゴミをあさったり、人を襲ったり、田畑や民家に入り込んで荒らし
たりすることもあります。
数年前、静岡でもサルに襲われた人が何十人にものぼることがありました。

餌付けではなくても、森などに放置していた生ゴミのためにクマが出てくるように
なることもあるそうです。
クマなどの大型動物になると、もう駆除対象になってしまいます。

本来なら人を恐れ、一定の距離以上は近寄ってこないはずだった野性動物たちが
人が食べ物を適切に管理しなかったり、餌付けという形で境界線を越えてしまった
ばかりに、近寄ってきた動物をの命を危険にさらすことになってしまうと思います。

牙がある動物であっても、本来の野生をもったままなら、むやみに襲うことはなく、
人の気配を感じたら自分から逃げたり、遠ざかるのが自然のことだったと思います。

昔は、私たち人間も自然な形で野生動物を恐れ、必要以上に彼らの生活を侵害
することはなかったと思います。
それが適切な形での共生であると私は思います。

彼らを本当に大切に思い、守りたいと思うのなら、ペットのようにかわいがるのではなく、
彼らは自然界で自分自身の力で生きている立派な存在であることを尊重してほしいと思います。

彼らの生活、生き方、食性を理解し、お互いに適切な距離を保って、彼らが自分の力で
生きていけるのを見守ること、彼らが生きていける自然を広く大きな形で守っていくことが
大切だと思います。

私はアシナガバチと距離を保ちながら、彼女たちの一生を見守らせてもらいました。
確か一定以上には近寄れませんが、それでもアシナガバチたちは、私に最大限の
愛情を示して一緒に過ごしてくれました。

「お互いの生活を決して侵害しない。」その厳しくも優しい約束を守って。

彼女たちが示してくれた信頼と愛情は、手で触ることは決して出来ません。
けれど、心で感じられる、とてもあたたかいものでした。

そばでかわいがることだけが愛情ではありません。
お互いの立ち居位置と世界を守って、その上で人と野生動物は畏れ敬いながら、
愛情を持って見守っていくことが出来ると私は信じています。

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