夏のいきもの、なぜ?なに?リクエスト~シンリンオオカミのおはなし [山のどうぶつ]
前回のFさんからのご質問の「剥製とはおはなしができるんですか?」
から広がって、野生のオオカミにそのことを聞いてみる
ことになりました。
私の心に浮かんだのは、絶滅してしまった北海道の
エゾオオカミでした。
そのエゾオオカミに近い種類ということで、
旭山動物園ではカナダのシンリンオオカミを展示
しています。
旭山動物園のオオカミさんです。(2008年撮影)
エゾオオカミのDNAを解析したところ、アラスカのユーコン地方の
オオカミと塩基配列が一致したという記事を読みました。
☆ウィキペディアのエゾオオカミのページです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%BE%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F#cite_note-1
ハイイロオオカミの中で、シンリンオオカミと
タイリクオオカミの種別については、少し区別が難しそうです。
ハイイロオオカミはユーラシア大陸とアメリカ大陸に
広く生息するオオカミで、北米の北西部のオオカミは
シンリンオオカミと書いてありました。
アラスカのユーコン地方のオオカミはその地方なので、
シンリンオオカミと書かせていただきます。
そこで、アラスカのユーコン地方のオオカミ全体に
向けて呼びかけてみました。
すると、立派な黒いオスのオオカミが応えてくれました。
Black Timber Wolf / Fool4myCanon
こんな感じのオオカミです。(おかりした写真です。)
アラスカのオオカミからのメッセージです。
オ「私たちの話を聞いてくれるんだね。」
私「私も色々聞きたいです。」
オ「そちらの話から聞こう。」
私「まず、オオカミたちは人に狩られたりして、毛皮を獲られたり、
剥製にされたりしたけど、そういう死んでしまった体とは
話せるの?」
オ「あれは毛皮(剥製も)物と変わらない。
我々にとって魂、心のありかは生きているという証。
だから魂のないものとは話せない。」
私「ありがとう。
あなたたちにとって魂、こころのありかは
生きているときはどこにあるの?」
オ「それは中空に浮かんでいて、体の中心から
全身に満ちている。
青く光ったり、赤く光ったりして、魂は
感情によって作用される。
大きくなったり、縮んだりもする。
魂はエネルギーを食べて大きくなる。
心の成長もそれに伴う。
大きく成長した魂は強くたくましくなる。
大きな魂のものがリーダーのアルファとなれる。
みなを守り、群れを率いて、すべての群れの命を担う。
アルファのメスしか子供を産めない。
そして子孫を残すことができる。
強いオスとメスの子が遺伝子と魂を受け継ぎ、
次の世代を担う。
我々は劣勢遺伝子は好まない。
強さだけが生きるすべてだ。
自然の中では、強さが、心の豊かさと智慧、
魂の成長、それが認められたものだけが
生き残れる。
遺伝子の端はしに生きる智慧が残されている。
世代を超えて受け継がれる。
私たちが魂と遺伝子に刻み、次に託すもの。
それは命の書物だ。」
私「魂と遺伝子は深く結びついているんだね。
それが進化とも言えるのかな。」
オ「そう、進化だ。
体の変化、環境への適応、種の多様性。
オオカミはだから大陸で生き残れた。
多種、多様の種が世界中に散らばり、
生き続けてきた。
生活圏が人間と重なった場合を除いてね。」
私「そのときはいろんな悲劇がオオカミを
待ち受けていたね。
日本でも二種類のオオカミが絶滅したよ。」
本土のニホンオオカミと北海道のエゾオオカミです。
オ「その種の一種は、私たちの親戚に似ていると
聞いている。」
北海道の旭山動物園でシンリンオオカミに会いました。
そこのオオカミはカナダ地方のオオカミで、エゾオオカミは
彼等に似た一種だったそうです。
(カナダ北西部とアラスカは隣あっています。)
私が旭山動物園のオオカミを思い出したのを感じて、
オオカミは言いました。
オ「動物園で生き残っている種とは時々話す。」
私がアラスカの野生のオオカミに呼びかけたように、
動物は心の会話でどんなに遠くの動物ともお話できます。
心の会話に距離は関係ないそうです。
オ「彼等の生活は興味深い。自然の外でありながら、
パック(群れ)を作り、私たちの習性をちゃんと
受け継いでいる。
たとえ絶滅してしまった種でも、私たちはその
いくつかを受け継いでいる。
生きているオオカミはみな、どんな種の一部かは
受け継いでいる。
多分、犬もそうだろう。
(犬の祖先はオオカミだと言われています。)
遺伝子と魂はつながっているんだ。」
私「そうだね。生きているものに受け継がれているんだね。
では、体から魂が離れたら、私はどの部分とおはなしを
しているんだろう?」
オ「魂は不滅だ。
遺伝子は体の中に受け継がれて、生きて次の世代に
続いていく。
魂は体から離れ、一度天に還る。
私たち野生動物は、大きな魂の河の流れに入る。
種の流れとも言っていい。
集合意識のかたまりのようなものだ。
そこに呼びかけてくれれば、どれかが返事をする。
一番君の話し手になりたいものがそれを勤める。
だが、必ず集合意識とつながっていて、我々の
気持ちを代弁する。
野生動物は個というより、集合意識とのつながりが強い。
大きな河の流れから、またひとしずく生まれ出る。(現世へと)
希望すれば別の流れの魂、違う種にも生まれ変われる。
すべての種の知識を持ちながら、同時に個の意識を持ち、
どの流れをも持って生きていける。」
私「前に動物園のハワイガンが集合意識ともつながって
生きていたよ。」
そのときの記事はこちらです。
☆動物園の動物 ③ ハワイガンとのおはなし-1
https://nijino-ehon.blog.so-net.ne.jp/2011-01-30-1
☆動物園の動物 ④ ハワイガンとのおはなし-2
https://nijino-ehon.blog.so-net.ne.jp/2011-01-30-2
オ「そう。生きているときも、魂のときも
それは変わらない。
河の流れの中のひとしずくだから、人は
それを野生と言う。
我々はこの意識の中でも、種の保存のための
本能の中でも生きている。
自分を守る大いなる何かとも言っていい。
常にその何かとつながり、生きている。
その後ろ盾は心強い。
自然そのものと言ってもいい。
それが我々を強くし、生かす。
その背後にあるものを人は神と感じたのでは
ないだろうか。
クマの神、オオカミの神、ワシ、タカの神。
様々な動物の魂の背後に在り、つながっている
大いなる自然を、昔の人間達はよく知って
いたのだろう。」
ニホンオオカミ手作り絵本コンクールのあと、オオカミをもっと知りたくて、
いろんな本や文献を読んでみました。
日本ではかつて、オオカミは犬神様として神社で祀っていた風習がありました。
オオカミが田畑を荒らす鹿やイノシシを追い払う存在であったり、
病気や火の災厄から守ってくれる存在だと大切に思われてきました。
北海道のアイヌ民族はクマ、オオカミ、フクロウ、様々な動物を神様として
大切にしてきました。
獲物として狩ったあとは、魂を神の国に送る儀式をしていたそうです。
北海道では、人間の生活圏が広がり、西洋文明が入ってきて牧畜が始まり、
人は森林を開拓し、オオカミの獲物だった鹿や動物達を多く狩るようになりました。
獲物が減り、生活圏を追いやられたオオカミたちは、人間の飼育する
家畜を襲うようになってしまいます。
北海道では馬が襲われたという記述が残っています。
そして、狂犬病の蔓延など、様々な困難がオオカミたちは襲いました。
ニホンオオカミの記録の中では、狂犬病に冒されたオオカミが
人を襲ったという内容がありました。
かつては人を守る、自然の神様として大切に思われたきたオオカミたちは
害獣、人間の敵として駆逐され、とうとう絶滅してしまたのです。
私「今、私たち人間はその自然と切り離されて生きている
気がする。
あなたたちはどう思う?」
オ「我々は幸せだと思う。
自然とつながっていること、大いなる河に還れることを
魂は知っている。
だから常に全力で生きる。
河に還ったときにその種を後押しできるようにね。
魂の成長と進化を次の世代に活かせるために。
人間はつながっている感覚をもてないのかもしれない。
切り離された感覚だろう。
だから不安になる。
だが、自分自身も人間という種を後押しできる
存在になれれば、いつか河に還ることを信じられれば
その一歩が愚かだと思えても、必ず次の魂の糧となる。
自分自身の来世に、そして、人類という種のために。
我々は疑ったことはなかった。
動物だからね。
だが、人間は疑うことを覚えた。
そして、魂はうつろい始める。
自然への回帰。
それは人間は始めるべきではないだろうか。
魂を自分自身へと戻すこと。
自分の中心に魂を据えること。
そして、種と自然の遺伝子を魂とつなぐこと。
自分ひとりが生きているのではない。
君達自身が我々ともつながっているのだと。
魂自身が網の目のようにつながっているのだよ。」
オオカミは、宇宙に光る星ぼしのような魂たちが、光る神経ネットワーク
のような光の筋によって互いにつながっている光景を見せてくれました。
それは美しい光景で、脳の中のシナプスが伸びていくような、神経ネット
ワークを見ているような感覚でした。
オ「それを知っているのを思い出すだけさ。
簡単なことだよ。
心の奥に耳を済ませて思い出してごらん。
自分の中に流れる 魂の声を。」
私「どうもありがとう。
私たちは、そういう奥深い魂自身を通して、
君達と話しているんだね。」
オ「そう。目には見えない網の目のような
魂のネットワークを通してね。
ひとつの回線を通せば、個々とも、
種全体とも話せる。
内緒話もできるのさ(笑)」
私「どうもありがとう。」
黒いオオカミは瞳をキラッと輝かせると、ゆっくりと
後ろを向いて歩き去っていきました。
早速、Fさんにオオカミからのメッセージをお届けしました。
Fさんからのご感想です。
=======================
一つ一つが、ああ、そうなんだ、と噛みしめるように心に響きました。
失礼だと思いましたが、シンリンオオカミ、賢い!!!
心の形、種の存在の意味、複雑な所をきちんとストレートに
伝えてくるところは、本当にすごいですよね。
動物園のコたちとお話してるのかあ、それはちょっと驚きでした。
千尋さんにはこの度は、深くステキなお話を届けてくださり、
ありがとうございました。
動物の魂のつながり、種を超えた記憶の絆、とても感動しました。
シンリンオオカミのメッセージを、ぜひ他の方々にも読んで
知ってほしいと思いました。
人が滅ぼしてしまったオオカミ達の魂も受け継がれていることは、
とても嬉しく思いました。
動物達の絶滅は悲しいことですし、その原因が人間と思うと、
申し訳ない気持ちになります。
でも、シンリンオオカミの話で、想いを引き継いで
生きて行っていると知り、胸がいっぱいになりました。
私たちも身近な家族や人と人の繋がりをもっと感じ、
信じて生きていけるといいのだろうなと思いますね。
今回お話してくれたシンリンオオカミのように、
心の自由さ、その根底にある大きな繋がり、
今生きて行くことの意味など、私自身深く
考えさせられるお話でした。
本当にありがとうございます。
生きてく芯のところを、シンリンオオカミよりもらった気がします。
=======================
私もFさんと同じ思いです。
人間との厳しい闘いの歴史がありながらも、自分達の生きる道、
つなげていきたい思いを熱く語ってくれたオオカミ。
そして、人間にも託したい思いを伝えてくれました。
自然の中で生きているオオカミと違って、人間は
弱いものは生き残れないという社会ではありません。
様々な国や環境、障害があっても手をとりあって、
協力して生きていけるのが人間の素晴らしさだと
思います。
私たちも人間という種として、未来へ、子供達へと
つなげていくために今を生きていけたらと思いました。
自然環境がますます厳しくなってきている今だからこそ、
生き抜くこと、つなげていくこと、遺していく思いを
深く考えていかなくてはいけない時代に入ってきている、
そう思います。
から広がって、野生のオオカミにそのことを聞いてみる
ことになりました。
私の心に浮かんだのは、絶滅してしまった北海道の
エゾオオカミでした。
そのエゾオオカミに近い種類ということで、
旭山動物園ではカナダのシンリンオオカミを展示
しています。
旭山動物園のオオカミさんです。(2008年撮影)
エゾオオカミのDNAを解析したところ、アラスカのユーコン地方の
オオカミと塩基配列が一致したという記事を読みました。
☆ウィキペディアのエゾオオカミのページです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%BE%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F#cite_note-1
ハイイロオオカミの中で、シンリンオオカミと
タイリクオオカミの種別については、少し区別が難しそうです。
ハイイロオオカミはユーラシア大陸とアメリカ大陸に
広く生息するオオカミで、北米の北西部のオオカミは
シンリンオオカミと書いてありました。
アラスカのユーコン地方のオオカミはその地方なので、
シンリンオオカミと書かせていただきます。
そこで、アラスカのユーコン地方のオオカミ全体に
向けて呼びかけてみました。
すると、立派な黒いオスのオオカミが応えてくれました。
Black Timber Wolf / Fool4myCanon
こんな感じのオオカミです。(おかりした写真です。)
アラスカのオオカミからのメッセージです。
オ「私たちの話を聞いてくれるんだね。」
私「私も色々聞きたいです。」
オ「そちらの話から聞こう。」
私「まず、オオカミたちは人に狩られたりして、毛皮を獲られたり、
剥製にされたりしたけど、そういう死んでしまった体とは
話せるの?」
オ「あれは毛皮(剥製も)物と変わらない。
我々にとって魂、心のありかは生きているという証。
だから魂のないものとは話せない。」
私「ありがとう。
あなたたちにとって魂、こころのありかは
生きているときはどこにあるの?」
オ「それは中空に浮かんでいて、体の中心から
全身に満ちている。
青く光ったり、赤く光ったりして、魂は
感情によって作用される。
大きくなったり、縮んだりもする。
魂はエネルギーを食べて大きくなる。
心の成長もそれに伴う。
大きく成長した魂は強くたくましくなる。
大きな魂のものがリーダーのアルファとなれる。
みなを守り、群れを率いて、すべての群れの命を担う。
アルファのメスしか子供を産めない。
そして子孫を残すことができる。
強いオスとメスの子が遺伝子と魂を受け継ぎ、
次の世代を担う。
我々は劣勢遺伝子は好まない。
強さだけが生きるすべてだ。
自然の中では、強さが、心の豊かさと智慧、
魂の成長、それが認められたものだけが
生き残れる。
遺伝子の端はしに生きる智慧が残されている。
世代を超えて受け継がれる。
私たちが魂と遺伝子に刻み、次に託すもの。
それは命の書物だ。」
私「魂と遺伝子は深く結びついているんだね。
それが進化とも言えるのかな。」
オ「そう、進化だ。
体の変化、環境への適応、種の多様性。
オオカミはだから大陸で生き残れた。
多種、多様の種が世界中に散らばり、
生き続けてきた。
生活圏が人間と重なった場合を除いてね。」
私「そのときはいろんな悲劇がオオカミを
待ち受けていたね。
日本でも二種類のオオカミが絶滅したよ。」
本土のニホンオオカミと北海道のエゾオオカミです。
オ「その種の一種は、私たちの親戚に似ていると
聞いている。」
北海道の旭山動物園でシンリンオオカミに会いました。
そこのオオカミはカナダ地方のオオカミで、エゾオオカミは
彼等に似た一種だったそうです。
(カナダ北西部とアラスカは隣あっています。)
私が旭山動物園のオオカミを思い出したのを感じて、
オオカミは言いました。
オ「動物園で生き残っている種とは時々話す。」
私がアラスカの野生のオオカミに呼びかけたように、
動物は心の会話でどんなに遠くの動物ともお話できます。
心の会話に距離は関係ないそうです。
オ「彼等の生活は興味深い。自然の外でありながら、
パック(群れ)を作り、私たちの習性をちゃんと
受け継いでいる。
たとえ絶滅してしまった種でも、私たちはその
いくつかを受け継いでいる。
生きているオオカミはみな、どんな種の一部かは
受け継いでいる。
多分、犬もそうだろう。
(犬の祖先はオオカミだと言われています。)
遺伝子と魂はつながっているんだ。」
私「そうだね。生きているものに受け継がれているんだね。
では、体から魂が離れたら、私はどの部分とおはなしを
しているんだろう?」
オ「魂は不滅だ。
遺伝子は体の中に受け継がれて、生きて次の世代に
続いていく。
魂は体から離れ、一度天に還る。
私たち野生動物は、大きな魂の河の流れに入る。
種の流れとも言っていい。
集合意識のかたまりのようなものだ。
そこに呼びかけてくれれば、どれかが返事をする。
一番君の話し手になりたいものがそれを勤める。
だが、必ず集合意識とつながっていて、我々の
気持ちを代弁する。
野生動物は個というより、集合意識とのつながりが強い。
大きな河の流れから、またひとしずく生まれ出る。(現世へと)
希望すれば別の流れの魂、違う種にも生まれ変われる。
すべての種の知識を持ちながら、同時に個の意識を持ち、
どの流れをも持って生きていける。」
私「前に動物園のハワイガンが集合意識ともつながって
生きていたよ。」
そのときの記事はこちらです。
☆動物園の動物 ③ ハワイガンとのおはなし-1
https://nijino-ehon.blog.so-net.ne.jp/2011-01-30-1
☆動物園の動物 ④ ハワイガンとのおはなし-2
https://nijino-ehon.blog.so-net.ne.jp/2011-01-30-2
オ「そう。生きているときも、魂のときも
それは変わらない。
河の流れの中のひとしずくだから、人は
それを野生と言う。
我々はこの意識の中でも、種の保存のための
本能の中でも生きている。
自分を守る大いなる何かとも言っていい。
常にその何かとつながり、生きている。
その後ろ盾は心強い。
自然そのものと言ってもいい。
それが我々を強くし、生かす。
その背後にあるものを人は神と感じたのでは
ないだろうか。
クマの神、オオカミの神、ワシ、タカの神。
様々な動物の魂の背後に在り、つながっている
大いなる自然を、昔の人間達はよく知って
いたのだろう。」
ニホンオオカミ手作り絵本コンクールのあと、オオカミをもっと知りたくて、
いろんな本や文献を読んでみました。
日本ではかつて、オオカミは犬神様として神社で祀っていた風習がありました。
オオカミが田畑を荒らす鹿やイノシシを追い払う存在であったり、
病気や火の災厄から守ってくれる存在だと大切に思われてきました。
北海道のアイヌ民族はクマ、オオカミ、フクロウ、様々な動物を神様として
大切にしてきました。
獲物として狩ったあとは、魂を神の国に送る儀式をしていたそうです。
北海道では、人間の生活圏が広がり、西洋文明が入ってきて牧畜が始まり、
人は森林を開拓し、オオカミの獲物だった鹿や動物達を多く狩るようになりました。
獲物が減り、生活圏を追いやられたオオカミたちは、人間の飼育する
家畜を襲うようになってしまいます。
北海道では馬が襲われたという記述が残っています。
そして、狂犬病の蔓延など、様々な困難がオオカミたちは襲いました。
ニホンオオカミの記録の中では、狂犬病に冒されたオオカミが
人を襲ったという内容がありました。
かつては人を守る、自然の神様として大切に思われたきたオオカミたちは
害獣、人間の敵として駆逐され、とうとう絶滅してしまたのです。
私「今、私たち人間はその自然と切り離されて生きている
気がする。
あなたたちはどう思う?」
オ「我々は幸せだと思う。
自然とつながっていること、大いなる河に還れることを
魂は知っている。
だから常に全力で生きる。
河に還ったときにその種を後押しできるようにね。
魂の成長と進化を次の世代に活かせるために。
人間はつながっている感覚をもてないのかもしれない。
切り離された感覚だろう。
だから不安になる。
だが、自分自身も人間という種を後押しできる
存在になれれば、いつか河に還ることを信じられれば
その一歩が愚かだと思えても、必ず次の魂の糧となる。
自分自身の来世に、そして、人類という種のために。
我々は疑ったことはなかった。
動物だからね。
だが、人間は疑うことを覚えた。
そして、魂はうつろい始める。
自然への回帰。
それは人間は始めるべきではないだろうか。
魂を自分自身へと戻すこと。
自分の中心に魂を据えること。
そして、種と自然の遺伝子を魂とつなぐこと。
自分ひとりが生きているのではない。
君達自身が我々ともつながっているのだと。
魂自身が網の目のようにつながっているのだよ。」
オオカミは、宇宙に光る星ぼしのような魂たちが、光る神経ネットワーク
のような光の筋によって互いにつながっている光景を見せてくれました。
それは美しい光景で、脳の中のシナプスが伸びていくような、神経ネット
ワークを見ているような感覚でした。
オ「それを知っているのを思い出すだけさ。
簡単なことだよ。
心の奥に耳を済ませて思い出してごらん。
自分の中に流れる 魂の声を。」
私「どうもありがとう。
私たちは、そういう奥深い魂自身を通して、
君達と話しているんだね。」
オ「そう。目には見えない網の目のような
魂のネットワークを通してね。
ひとつの回線を通せば、個々とも、
種全体とも話せる。
内緒話もできるのさ(笑)」
私「どうもありがとう。」
黒いオオカミは瞳をキラッと輝かせると、ゆっくりと
後ろを向いて歩き去っていきました。
早速、Fさんにオオカミからのメッセージをお届けしました。
Fさんからのご感想です。
=======================
一つ一つが、ああ、そうなんだ、と噛みしめるように心に響きました。
失礼だと思いましたが、シンリンオオカミ、賢い!!!
心の形、種の存在の意味、複雑な所をきちんとストレートに
伝えてくるところは、本当にすごいですよね。
動物園のコたちとお話してるのかあ、それはちょっと驚きでした。
千尋さんにはこの度は、深くステキなお話を届けてくださり、
ありがとうございました。
動物の魂のつながり、種を超えた記憶の絆、とても感動しました。
シンリンオオカミのメッセージを、ぜひ他の方々にも読んで
知ってほしいと思いました。
人が滅ぼしてしまったオオカミ達の魂も受け継がれていることは、
とても嬉しく思いました。
動物達の絶滅は悲しいことですし、その原因が人間と思うと、
申し訳ない気持ちになります。
でも、シンリンオオカミの話で、想いを引き継いで
生きて行っていると知り、胸がいっぱいになりました。
私たちも身近な家族や人と人の繋がりをもっと感じ、
信じて生きていけるといいのだろうなと思いますね。
今回お話してくれたシンリンオオカミのように、
心の自由さ、その根底にある大きな繋がり、
今生きて行くことの意味など、私自身深く
考えさせられるお話でした。
本当にありがとうございます。
生きてく芯のところを、シンリンオオカミよりもらった気がします。
=======================
私もFさんと同じ思いです。
人間との厳しい闘いの歴史がありながらも、自分達の生きる道、
つなげていきたい思いを熱く語ってくれたオオカミ。
そして、人間にも託したい思いを伝えてくれました。
自然の中で生きているオオカミと違って、人間は
弱いものは生き残れないという社会ではありません。
様々な国や環境、障害があっても手をとりあって、
協力して生きていけるのが人間の素晴らしさだと
思います。
私たちも人間という種として、未来へ、子供達へと
つなげていくために今を生きていけたらと思いました。
自然環境がますます厳しくなってきている今だからこそ、
生き抜くこと、つなげていくこと、遺していく思いを
深く考えていかなくてはいけない時代に入ってきている、
そう思います。
2018-09-14 10:30
夏のいきもの、なぜ?なに?リクエスト~剥製とおはなしはできますか? [山のどうぶつ]
北海道地震で被災した皆様に心からお見舞いを申し上げます。
酪農家の皆様と乳牛たちに多大な被害が出ているそうです・・
停電により搾乳できなかった牛達が次々に乳房炎にかかって
死亡してしまったり、乳房炎のために牛乳を出荷できずに
破棄しているそうです。
乳房炎になってしまった牛乳は出荷できません。
たとえ乳房炎が治ったとしても、元の乳量に戻るかどうかは
わからず被害総額は甚大だそうです。
牛は出産をしないとお乳が出ません。
子牛からを考えると長い時間をかけて育てて
お乳がでるようになります。
一度出産した牛は休ませてあげたりします。
ですから、簡単に乳量が戻ることはなく、この先乳製品が
品薄になる可能性があるそうです。
酪農家さんや牛達への救済に向けてなんらかの対策が
ありますよう切に願っています。
また、動物を連れて被災なさった皆様への救済も
進んでいきますよう、心から願っています。
======================
あるとき、Fさんからこんなご質問をいただきました。
『夏のいきものではないのですが、博物館に展示されている
剥製になっている動物たちを見るたびに、この子達も
何かメッセージがあるのかなあ?と思ったりします。
千尋さんは、そういう状態のコ達から話しかけられたり
とかはしたりするのでしょうか?』
夏のいきものではないのですが・・とご遠慮なさってのご質問
でした(^^)
私にとっては目からうろこでした。
そうか~!検証してみたい!!と思いました。
真っ先に浮かんだのが、日本平動物園のシンリンオオカミの
剥製でした。
それがこの剥製です。(後日写真を撮りました。)
とても美しくて、このオオカミの生前の姿を忠実に
再現していると思いました。
私自身、北海道大学の植物園の博物館本館でたくさんの
剥製を見学したことがありました。
剥製から話しかけられたり、魂や意識を持っていると
感じたことはありませんでした。
けれど、剥製はその動物の生きていたときの本体です。
アニマルコミュニケーションでは、天国の動物とおはなし
するとき、生前の写真を使っています。
では、それが写真の代わりに剥製だったら?
私たちアニマルコミュニケーターは、動物のどの部分と
おはなししているのだろう?
今までは魂とおはなしをしていると思ってきました。
何気なく行っていたことを動物達はどう思って
いるんだろう?
動物に直接聞いてみたくなりました。
ご質問をいただいた頃、静岡駅の地下に
日本平動物園50周年の展示がありました。
そこにレッサーパンダさんの剥製がありました。
とてもきれいでかわいらしかったのでしばらく眺めて
写真も撮りました。
日本平動物園に初めてやってきたレッサーパンダ
「安安(アンアン)ちゃん」でした。
とてもかわいかったのですが、やっぱりそこに魂は
感じられなくて、話しかけられず、私が話しかけても
答えてくれる感じはありませんでした。
動物に話しかける場合、生きているときは体の中に魂があって、
天国に行くと魂は体から離れてしまうため、残った体や剥製、
遺骨を通じてはお話できない気がしました。
体から離れた魂は天国や地上を行き来して、実に自由なので、
体や剥製、お骨に留まっていないみたいです。
ですから、生きているときはそこの自身や魂の輝きを感じられる
元気なときの写真がおはなしするための電話番号、目印の
代わりになるのかなと思いました。
ポイントは生きているときや魂自身の輝きを感じられる目印か
どうかがおはなしの鍵のような気がします。
残念ながら、どんなに精巧な剥製でも、生きているときの写真に
比べたら魂のエネルギーや輝きを感じることができないみたいです。
そこで、Fさんに生きている野生のシンリンオオカミとおはなし
してみたいことをお伺いしてみました。
きっかけが美しいシンリンオオカミの剥製だったこと、犬の祖先と
言われるオオカミは人間との縁が深いので、様々な観点から
答えてくれるような気がしたからです。
Fさんは快くご了解してくださいました(^^)
シンリンオオカミのおはなしへと続きます。
酪農家の皆様と乳牛たちに多大な被害が出ているそうです・・
停電により搾乳できなかった牛達が次々に乳房炎にかかって
死亡してしまったり、乳房炎のために牛乳を出荷できずに
破棄しているそうです。
乳房炎になってしまった牛乳は出荷できません。
たとえ乳房炎が治ったとしても、元の乳量に戻るかどうかは
わからず被害総額は甚大だそうです。
牛は出産をしないとお乳が出ません。
子牛からを考えると長い時間をかけて育てて
お乳がでるようになります。
一度出産した牛は休ませてあげたりします。
ですから、簡単に乳量が戻ることはなく、この先乳製品が
品薄になる可能性があるそうです。
酪農家さんや牛達への救済に向けてなんらかの対策が
ありますよう切に願っています。
また、動物を連れて被災なさった皆様への救済も
進んでいきますよう、心から願っています。
======================
あるとき、Fさんからこんなご質問をいただきました。
『夏のいきものではないのですが、博物館に展示されている
剥製になっている動物たちを見るたびに、この子達も
何かメッセージがあるのかなあ?と思ったりします。
千尋さんは、そういう状態のコ達から話しかけられたり
とかはしたりするのでしょうか?』
夏のいきものではないのですが・・とご遠慮なさってのご質問
でした(^^)
私にとっては目からうろこでした。
そうか~!検証してみたい!!と思いました。
真っ先に浮かんだのが、日本平動物園のシンリンオオカミの
剥製でした。
それがこの剥製です。(後日写真を撮りました。)
とても美しくて、このオオカミの生前の姿を忠実に
再現していると思いました。
私自身、北海道大学の植物園の博物館本館でたくさんの
剥製を見学したことがありました。
剥製から話しかけられたり、魂や意識を持っていると
感じたことはありませんでした。
けれど、剥製はその動物の生きていたときの本体です。
アニマルコミュニケーションでは、天国の動物とおはなし
するとき、生前の写真を使っています。
では、それが写真の代わりに剥製だったら?
私たちアニマルコミュニケーターは、動物のどの部分と
おはなししているのだろう?
今までは魂とおはなしをしていると思ってきました。
何気なく行っていたことを動物達はどう思って
いるんだろう?
動物に直接聞いてみたくなりました。
ご質問をいただいた頃、静岡駅の地下に
日本平動物園50周年の展示がありました。
そこにレッサーパンダさんの剥製がありました。
とてもきれいでかわいらしかったのでしばらく眺めて
写真も撮りました。
日本平動物園に初めてやってきたレッサーパンダ
「安安(アンアン)ちゃん」でした。
とてもかわいかったのですが、やっぱりそこに魂は
感じられなくて、話しかけられず、私が話しかけても
答えてくれる感じはありませんでした。
動物に話しかける場合、生きているときは体の中に魂があって、
天国に行くと魂は体から離れてしまうため、残った体や剥製、
遺骨を通じてはお話できない気がしました。
体から離れた魂は天国や地上を行き来して、実に自由なので、
体や剥製、お骨に留まっていないみたいです。
ですから、生きているときはそこの自身や魂の輝きを感じられる
元気なときの写真がおはなしするための電話番号、目印の
代わりになるのかなと思いました。
ポイントは生きているときや魂自身の輝きを感じられる目印か
どうかがおはなしの鍵のような気がします。
残念ながら、どんなに精巧な剥製でも、生きているときの写真に
比べたら魂のエネルギーや輝きを感じることができないみたいです。
そこで、Fさんに生きている野生のシンリンオオカミとおはなし
してみたいことをお伺いしてみました。
きっかけが美しいシンリンオオカミの剥製だったこと、犬の祖先と
言われるオオカミは人間との縁が深いので、様々な観点から
答えてくれるような気がしたからです。
Fさんは快くご了解してくださいました(^^)
シンリンオオカミのおはなしへと続きます。
2018-09-14 09:51
子ネズミのおはなし [山のどうぶつ]
先日、朝の愛犬の散歩に出かけたとき、家の近くの道端に、
死んだネズミが横たわっていました。
どうやら他の動物に襲われたようです。
体の大きさ、顔から子ネズミのようでした。
もしかすると、カラスや、他の動物がまた持っていくかもしれないと
思って、このまま散歩に行くことにしました。
子ネズミが他の動物のお腹におさまることは、ある意味、
その動物の命を生かすことになると思ったからです。
たとえ亡くなっても、食べられて、次の命を生かすこと。
こういう考え方をするようになったのは、自然界の生き物たちと
おはなしするようになったからかもしれません。
そのまま散歩に行き、帰ってきたら、子ネズミはそのままの
場所にいました。
多分、ずっとこの子はこの場所にいそうだなあ・・・と思いました。
もう少し人通りが多くなったら、みんなびっくりしたり、ゴミみたいに
捨てられてしまうでしょう。
私は、愛犬を家に連れ行ってから、引き返して、子ネズミを
人が来ない草むらにそっと置きました。
ここで自然に還るようにね・・・と。
虫や微生物たちが、ゆっくりゆっくり土に還してくれると思いました。
(死んだヘビさんもそうしたことがあります^^;)
しばらくしてから、自分のセルフヒーリングをしているとき、子ネズミの
顔が浮かび、「あなたのそばにいさせてもらえませんか?」と聞かれました。
たいそうかわいく感じられました。
子ネズミは、ただ死んだ自分を草むらに移動しただけの私を慕ってくれた
ようでした。
私は、「それはできないけれど、大黒様のご眷属のねずみさんたちに、
一緒に天に連れていっていただくようにお願いするからね。」と伝えました。
子ネズミは納得したようで、姿を消しました。
時々、子ネズミの気配を感じることがあります。
子ネズミに話を聞いてみました。
「時々、あなたのそばに来ていることがありますが、
大黒様のねずみさんたちと天にいます。
私は次の転生でちゃんとつとめを果たさないといけないと
言われました。
ねずみは確かに小さいし、力も弱いです。
でも、私たちは小さくても勇敢です。
私はご眷属ねずみさんから、生きることとは、
どう、生きるか、ということを知りました。
小さいし、すぐに死んでしまうけれど、
次もねずみに生まれたい。
立派にねずみとして生きたいのです。
どう、死ぬか、だと、生きるのが怖くなってしまうけれど、
どう生きるか、そう思って生きることが、どんなに大切か、
死んでしまったからわかるんです。
だから、私は、次もねずみとして、生きます。」
本当にうれしい言葉でした。
今日、そばに来てくれたのは、それを伝えにきてくれたのだそうです。
大黒様のねずみさんたちは、彼に本当に大切なことを教えてくれました。
自分がどんな存在で、そして、どう生きるか
いろんな局面に、どう向き合うか
生きるってそういうことなんだと思います。
また、ねずみに生まれ変わって、また、何かに襲われるかもしれない。
それでも、そこでどう、生きるのか。
自分が、どう生きたのか。
きっとそれが大切なんですね。
先月、オオカミ信仰の神社のことや、実際に山の精霊とおはなししてみて、
ご眷属というのは本当に存在するのだろうと感じました。
京都の伏見稲荷で感じるぴーんとした、気持ちいい感じや、鞍馬山や神戸の
六甲山には天狗さんがいるなあ、カラスはご眷属のお使いだなあ、とか。
大黒様のねずみさんは、以前、日光東照宮と二荒山神社を参拝したときに
感じました(^^)
今回、初めてご眷属に子ネズミのことをお願いしてみましたが、
よかったと思いました。
私のそばで、ずっと魂のままいるよりも、生きることを諦めずに、
前へ、前へと進んでいってほしかったんです。
魂は、成長を望むものだから。
秋に出雲大社に行ける予定なので、大国主様(大黒様)とねずみさんに
お礼をお伝えしようと思います。
そこの神様やご眷属に失礼のないように礼節をもって接し、山や神社を訪れることが
大切なんだだそうです。
もし、ひっそり亡くなっているものに出会って、お弔いすることが
ありましたら、輪廻の輪に戻って、次もしっかりと生きてくださいと
お伝えしてみてください。
死んだネズミが横たわっていました。
どうやら他の動物に襲われたようです。
体の大きさ、顔から子ネズミのようでした。
もしかすると、カラスや、他の動物がまた持っていくかもしれないと
思って、このまま散歩に行くことにしました。
子ネズミが他の動物のお腹におさまることは、ある意味、
その動物の命を生かすことになると思ったからです。
たとえ亡くなっても、食べられて、次の命を生かすこと。
こういう考え方をするようになったのは、自然界の生き物たちと
おはなしするようになったからかもしれません。
そのまま散歩に行き、帰ってきたら、子ネズミはそのままの
場所にいました。
多分、ずっとこの子はこの場所にいそうだなあ・・・と思いました。
もう少し人通りが多くなったら、みんなびっくりしたり、ゴミみたいに
捨てられてしまうでしょう。
私は、愛犬を家に連れ行ってから、引き返して、子ネズミを
人が来ない草むらにそっと置きました。
ここで自然に還るようにね・・・と。
虫や微生物たちが、ゆっくりゆっくり土に還してくれると思いました。
(死んだヘビさんもそうしたことがあります^^;)
しばらくしてから、自分のセルフヒーリングをしているとき、子ネズミの
顔が浮かび、「あなたのそばにいさせてもらえませんか?」と聞かれました。
たいそうかわいく感じられました。
子ネズミは、ただ死んだ自分を草むらに移動しただけの私を慕ってくれた
ようでした。
私は、「それはできないけれど、大黒様のご眷属のねずみさんたちに、
一緒に天に連れていっていただくようにお願いするからね。」と伝えました。
子ネズミは納得したようで、姿を消しました。
時々、子ネズミの気配を感じることがあります。
子ネズミに話を聞いてみました。
「時々、あなたのそばに来ていることがありますが、
大黒様のねずみさんたちと天にいます。
私は次の転生でちゃんとつとめを果たさないといけないと
言われました。
ねずみは確かに小さいし、力も弱いです。
でも、私たちは小さくても勇敢です。
私はご眷属ねずみさんから、生きることとは、
どう、生きるか、ということを知りました。
小さいし、すぐに死んでしまうけれど、
次もねずみに生まれたい。
立派にねずみとして生きたいのです。
どう、死ぬか、だと、生きるのが怖くなってしまうけれど、
どう生きるか、そう思って生きることが、どんなに大切か、
死んでしまったからわかるんです。
だから、私は、次もねずみとして、生きます。」
本当にうれしい言葉でした。
今日、そばに来てくれたのは、それを伝えにきてくれたのだそうです。
大黒様のねずみさんたちは、彼に本当に大切なことを教えてくれました。
自分がどんな存在で、そして、どう生きるか
いろんな局面に、どう向き合うか
生きるってそういうことなんだと思います。
また、ねずみに生まれ変わって、また、何かに襲われるかもしれない。
それでも、そこでどう、生きるのか。
自分が、どう生きたのか。
きっとそれが大切なんですね。
先月、オオカミ信仰の神社のことや、実際に山の精霊とおはなししてみて、
ご眷属というのは本当に存在するのだろうと感じました。
京都の伏見稲荷で感じるぴーんとした、気持ちいい感じや、鞍馬山や神戸の
六甲山には天狗さんがいるなあ、カラスはご眷属のお使いだなあ、とか。
大黒様のねずみさんは、以前、日光東照宮と二荒山神社を参拝したときに
感じました(^^)
今回、初めてご眷属に子ネズミのことをお願いしてみましたが、
よかったと思いました。
私のそばで、ずっと魂のままいるよりも、生きることを諦めずに、
前へ、前へと進んでいってほしかったんです。
魂は、成長を望むものだから。
秋に出雲大社に行ける予定なので、大国主様(大黒様)とねずみさんに
お礼をお伝えしようと思います。
そこの神様やご眷属に失礼のないように礼節をもって接し、山や神社を訪れることが
大切なんだだそうです。
もし、ひっそり亡くなっているものに出会って、お弔いすることが
ありましたら、輪廻の輪に戻って、次もしっかりと生きてくださいと
お伝えしてみてください。
2015-07-07 16:04
ハクビシンのおはなし [山のどうぶつ]
先週の早朝、ごみ収集場所に我が家のゴミを運んでいきました。
その道路の片隅で死んでいる動物を見つけました。
猫くらいの大きさで、こげ茶色の短毛でシッポが長い動物です。
一見猫に見えますが、足が短くて足の裏の形状がかわうそみたいで、
耳が小さくて鼻がとがっています。ハクビシンでした。
ハクビシンはこんな動物です。
Yahoo!きっず図鑑のページのハクビシンの写真です。
http://zukan.kids.yahoo.co.jp/animal/kind/mammals/0072.html
このハクビシンは、頭から血を流した状態で倒れていましたが、
ほかに外傷はなくてきれいでした。
多分、車にぶつかってしまって即死だったのではないかと思います。
死んでいるハクビシンがこれ以上轢かれないように、誰かが道路の片隅に
置いてくれたような気がしました。
猫くらいだと結構大きいので、連れて帰って庭に埋めてあげるのが難しく、
ご冥福をお祈りしてその場を離れました。
多分、この場所に移動させてくれた方が遺体を引き取ってくれるように
市に連絡してくれると思いました。
そのとおりで、後になってから遺体はそこにはありませんでした。
ハクビシンが交通事故にあったらしい道路は見通しの悪いカーブになっていて、
野良猫さんが事故にあってしまうことが時々ありました。
私は事故で死んでいた野良猫さんを市に連絡して引き取っていただいたことがあります。
山から少し離れた住宅街での野生動物の事故死ははじめてでした。
ここまで下りてきているんだなあというのが実感です。
動物にとって危険な場所は、お年寄りや子供さんにとっても危ない箇所だろうな・・
いつもと心配になります。
私自身もここを通るときは気をつけるようにしています。
少し時間がたっていましたが、ハクビシンとおはなししてみました。
ハ「この自然の中で僕が生きていることを示したかったんだ。
車に轢かれたのは悲しかったけど、ここにはまだ自然があって、
僕らのような野生動物が生きているって。
小さな柿の実や木の実、山のめぐみをもらって、山で生きていたんだけど、
春は食べ物が少なくて里に下りてきた。
僕らも子育てのために栄養が必要だったんだ。
これから家族が育って授乳の季節。
僕の奥さんも栄養が必要だったんだ。
餌場を探していた。
そのときに轢かれてしまった。
僕の寿命は尽きてしまったけれど、奥さんはきっと僕のあとを継いで
子供たちを育ててくれると思う。
もう里のほうには下りてこないでねって言ってね。
僕らにとって道路との共存は難しい。
危険をおかしてでも餌をとらなくてはならないのは、
生きるために仕方のないことだけど、森の道や山の道に
くらべて、とても恐ろしいと思うんだ。
多くの野生動物が轢かれて死んでいる。
もし、山道で野生動物を見かけたら、少しスピードをゆるめて
通してあげてね。
その心で彼らは渡れるから。
この場所に生きているもの同士、ゆずりあって、与え合って
生きてゆければ、小さな自然の中でも、僕らは生き続けて
いけると思うよ。
タヌキも、ハクビシンも、キツネも、テンも、人にとっては
やっかいかもしれないけれど、小さな里山で命を
つないでいくことを許してほしいんだ。
懸命に生きているんだ、僕らも。
山里から離れないようになるべくするね。
僕らを見守っていてね。」
以前、大阪に住んでいたとき、住宅街の真ん中にあった運動場の草むらを堂々と歩く
テンの親子をみかけてびっくりしたことがありました。
静岡に帰ってきてからは子ダヌキ、生きているハクビシンとも会ったことがあります。
北海道では冬に住宅街でもキタキツネ見かけました。
畑の作物を荒らしたり、民家の屋根裏に住み着いて駆除されたりと人とのトラブルも
耳にすることがあります。
だんだんと山や緑が少なくなってきて、彼らは人里の隣で生きているのだと思います。
そんな彼らは、「僕らも生きているんだよ!」と伝えたかったのだと感じました。
またもし、道でばったり彼らに会ったら、「頑張って生きてね!」と声をかけようと思いました。
今朝は、カン・ビンの収集場所に運んで行ったら、そこで愉快に遊んでいる野鳥に
会いました。
イソヒヨドリの若鳥が三羽、楽しそうにカン・ビンの山を観察していました。
今はなんでも興味津々の若鳥たち。
私が行くとそばの塀に止まって、「じゃね!」と言って飛んでいきました。
もうそばには両親の姿はなくて、一人前になって兄弟で一緒に過ごしているようです。
春に巣立った若鳥たちはしばらくの間、群れで暮らしているのをよく見かけます。
つい最近巣立ったムクドリたちの群れもそうでした。
ご近所のムクドリ夫婦とスズメ夫婦は一回目の子育てを終えて、第二段の
子育てをはじめています。
私とおはなししてくれたモリアオガエルの卵はおたまじゃくしになりました。
草についていた泡状の袋をやぶって、池に飛び込んだおたまじゃくしの形跡が
下の写真です。
卵の泡が池に浮かんでいます。
今日も住宅街や里山の中で野生動物たちはたくましく生きています!
===========================
現在、セッション受付中です。
<千尋のアニマルコミュニケーションサイト>
その道路の片隅で死んでいる動物を見つけました。
猫くらいの大きさで、こげ茶色の短毛でシッポが長い動物です。
一見猫に見えますが、足が短くて足の裏の形状がかわうそみたいで、
耳が小さくて鼻がとがっています。ハクビシンでした。
ハクビシンはこんな動物です。
Yahoo!きっず図鑑のページのハクビシンの写真です。
http://zukan.kids.yahoo.co.jp/animal/kind/mammals/0072.html
このハクビシンは、頭から血を流した状態で倒れていましたが、
ほかに外傷はなくてきれいでした。
多分、車にぶつかってしまって即死だったのではないかと思います。
死んでいるハクビシンがこれ以上轢かれないように、誰かが道路の片隅に
置いてくれたような気がしました。
猫くらいだと結構大きいので、連れて帰って庭に埋めてあげるのが難しく、
ご冥福をお祈りしてその場を離れました。
多分、この場所に移動させてくれた方が遺体を引き取ってくれるように
市に連絡してくれると思いました。
そのとおりで、後になってから遺体はそこにはありませんでした。
ハクビシンが交通事故にあったらしい道路は見通しの悪いカーブになっていて、
野良猫さんが事故にあってしまうことが時々ありました。
私は事故で死んでいた野良猫さんを市に連絡して引き取っていただいたことがあります。
山から少し離れた住宅街での野生動物の事故死ははじめてでした。
ここまで下りてきているんだなあというのが実感です。
動物にとって危険な場所は、お年寄りや子供さんにとっても危ない箇所だろうな・・
いつもと心配になります。
私自身もここを通るときは気をつけるようにしています。
少し時間がたっていましたが、ハクビシンとおはなししてみました。
ハ「この自然の中で僕が生きていることを示したかったんだ。
車に轢かれたのは悲しかったけど、ここにはまだ自然があって、
僕らのような野生動物が生きているって。
小さな柿の実や木の実、山のめぐみをもらって、山で生きていたんだけど、
春は食べ物が少なくて里に下りてきた。
僕らも子育てのために栄養が必要だったんだ。
これから家族が育って授乳の季節。
僕の奥さんも栄養が必要だったんだ。
餌場を探していた。
そのときに轢かれてしまった。
僕の寿命は尽きてしまったけれど、奥さんはきっと僕のあとを継いで
子供たちを育ててくれると思う。
もう里のほうには下りてこないでねって言ってね。
僕らにとって道路との共存は難しい。
危険をおかしてでも餌をとらなくてはならないのは、
生きるために仕方のないことだけど、森の道や山の道に
くらべて、とても恐ろしいと思うんだ。
多くの野生動物が轢かれて死んでいる。
もし、山道で野生動物を見かけたら、少しスピードをゆるめて
通してあげてね。
その心で彼らは渡れるから。
この場所に生きているもの同士、ゆずりあって、与え合って
生きてゆければ、小さな自然の中でも、僕らは生き続けて
いけると思うよ。
タヌキも、ハクビシンも、キツネも、テンも、人にとっては
やっかいかもしれないけれど、小さな里山で命を
つないでいくことを許してほしいんだ。
懸命に生きているんだ、僕らも。
山里から離れないようになるべくするね。
僕らを見守っていてね。」
以前、大阪に住んでいたとき、住宅街の真ん中にあった運動場の草むらを堂々と歩く
テンの親子をみかけてびっくりしたことがありました。
静岡に帰ってきてからは子ダヌキ、生きているハクビシンとも会ったことがあります。
北海道では冬に住宅街でもキタキツネ見かけました。
畑の作物を荒らしたり、民家の屋根裏に住み着いて駆除されたりと人とのトラブルも
耳にすることがあります。
だんだんと山や緑が少なくなってきて、彼らは人里の隣で生きているのだと思います。
そんな彼らは、「僕らも生きているんだよ!」と伝えたかったのだと感じました。
またもし、道でばったり彼らに会ったら、「頑張って生きてね!」と声をかけようと思いました。
今朝は、カン・ビンの収集場所に運んで行ったら、そこで愉快に遊んでいる野鳥に
会いました。
イソヒヨドリの若鳥が三羽、楽しそうにカン・ビンの山を観察していました。
今はなんでも興味津々の若鳥たち。
私が行くとそばの塀に止まって、「じゃね!」と言って飛んでいきました。
もうそばには両親の姿はなくて、一人前になって兄弟で一緒に過ごしているようです。
春に巣立った若鳥たちはしばらくの間、群れで暮らしているのをよく見かけます。
つい最近巣立ったムクドリたちの群れもそうでした。
ご近所のムクドリ夫婦とスズメ夫婦は一回目の子育てを終えて、第二段の
子育てをはじめています。
私とおはなししてくれたモリアオガエルの卵はおたまじゃくしになりました。
草についていた泡状の袋をやぶって、池に飛び込んだおたまじゃくしの形跡が
下の写真です。
卵の泡が池に浮かんでいます。
今日も住宅街や里山の中で野生動物たちはたくましく生きています!
===========================
現在、セッション受付中です。
<千尋のアニマルコミュニケーションサイト>
2014-06-13 11:17
動物が住める森~子だぬきのおはなし② [山のどうぶつ]
前回の続きです。
12月19日、もう一度子だぬきとおはなししてみました。
子「僕、山に帰ってきたよ。」
私「そこはどんなところ?」
子「山の裏手に川があるところ。」
私が伝えた山かどうかをイメージで確認してみました。
どうやら同じ場所のようです。
私「その辺。お母さんと住んでいたところだから。
今は畑の残り物とかをもらって食べてる。
車はあんまり来ないから大丈夫。」
私「よかった。冬を越して、もう少し大きくなったら
東にずーっと行くともっとみどり豊かな森があるよ。」
私は家族が教えてくれた場所を教えました。
子「今はここで過ごして、大きくなったら考えてみるね。」
まだ小さいこの子にとっては、住み慣れた場所で
冬越ししたほうがいいかもしれません。
実のなる木が少ない杉や竹の多い森ですが、
隠れる場所も遊ぶ場所もあります。
私「元気に生きるんだよ。
人間に何かメッセージはある?」
子「森の端っこで生きてる動物を少し認めてほしい。
僕たちの森は食べ物が少なくなってきているし、
車で死んじゃうのも多いんだ。
僕達の食べ物がなる木があればと思うよ。
森が荒れたら僕達も生きられないし。
人が森に入って木を手入れしてくれるのは
本当はいいことだと思う。
竹や杉が多くなったら、あんまり食べられない
森になっちゃう。
人が植えた木だから。
もう少し違う種類の木もあるにぎやかな森に
戻してほしいな。」
私「そうだね。みんなに伝えるね。」
子「明るく陽がさす森をつくってほしい。
そしたら下の木が育つんだよ。
鳥も種を落としているし、森が
みんなが生きてゆかれる森になるといいな。」
私「本当にそうだね。どうもありがとう。」
Real Tanuki / rumpleteaser
おかりした写真です。
この子がこのくらい大きく育って、いつか東の実のなる木が
たくさんある森に移っていけたら・・とそう願っています。
今、子だぬきがいる私の近所の山の森は、残念ながら植林された
杉や竹の手入れがあまり行きとどいていなくて薄暗く、下草もあまり
育っていません。
台風などの倒木もそのまま放置されています。
昔はまつたけが育つような森だったのだそうです。
その時代は、適度に木が伐採されて手入れがされていたと思います。
そういう森は木と木の間が適度にあって、陽がさし、若木やきのこ、
山菜なども育ちやすく、人にとっても動物にとっても住みやすい豊かな
森だったのだろうなと思います。
私がここに来たころは、すでに荒れはじめていた森でしたが、
キジやコジュケイの声がしたり、ノウサギがいた森でした。
今は農家の方の高齢化などで森の管理が大変になってきたからなのでしょう・・
山のほうからイノシシが出てきて作物を荒らしたという
話を聞いていました。
イノシシが怖いので、私もいつしか荒れた森の奥のほうは
散歩しなくなっていました。
動物がいても住みにくい森になっていったんですね・・
昨年10月、クマとはなしたときこう言っていました。
「ぼくたち大きな動物がすめないところは地水がなくなって、
山が水をたくわえられない。
やがて土砂崩れがおきて人が大変になっちゃう。
ぼくたちがすめる森は水を生み出し、川を流し、
ゆたかな自然と一緒に
人がすめる世界につながっているんだよ。」
Growth / Nicholas_T
貴船の森に行ったとき、多種多様の木がありました。
そして、その森が蓄えた豊かな水が川となって
流れていました。
まさに水源の森でした。
北海道の原生林が公園となっていたところでも、
うっそうとしているように見えても、古い朽ちた木の
栄養が新しい木の苗床になって世代交代がちゃんと
行われている光景をみました。
そして、下草もそだっていたのを覚えています。
人が植えてしまった杉や竹は人の手で
管理していかなくてはならないんですね・・
荒れてやせた森は土と水を蓄えられないので、
土砂崩れの原因になってしまいます。
ボランティアで竹林の手入れをしたり、杉の伐採、植樹などで
森を再生させようという取り組みがあちこちにあることを知りました。
本当にゆっくりの歩みだと思うのですが、とても大切な
ことだと思います。
The Emerald Forest / Tomi Tapio
動物たちが住める森は、人間達の暮らしをも豊かに守って
くれるものでもあると思います。
千尋のアニマルコミュニケーションサイト
12月19日、もう一度子だぬきとおはなししてみました。
子「僕、山に帰ってきたよ。」
私「そこはどんなところ?」
子「山の裏手に川があるところ。」
私が伝えた山かどうかをイメージで確認してみました。
どうやら同じ場所のようです。
私「その辺。お母さんと住んでいたところだから。
今は畑の残り物とかをもらって食べてる。
車はあんまり来ないから大丈夫。」
私「よかった。冬を越して、もう少し大きくなったら
東にずーっと行くともっとみどり豊かな森があるよ。」
私は家族が教えてくれた場所を教えました。
子「今はここで過ごして、大きくなったら考えてみるね。」
まだ小さいこの子にとっては、住み慣れた場所で
冬越ししたほうがいいかもしれません。
実のなる木が少ない杉や竹の多い森ですが、
隠れる場所も遊ぶ場所もあります。
私「元気に生きるんだよ。
人間に何かメッセージはある?」
子「森の端っこで生きてる動物を少し認めてほしい。
僕たちの森は食べ物が少なくなってきているし、
車で死んじゃうのも多いんだ。
僕達の食べ物がなる木があればと思うよ。
森が荒れたら僕達も生きられないし。
人が森に入って木を手入れしてくれるのは
本当はいいことだと思う。
竹や杉が多くなったら、あんまり食べられない
森になっちゃう。
人が植えた木だから。
もう少し違う種類の木もあるにぎやかな森に
戻してほしいな。」
私「そうだね。みんなに伝えるね。」
子「明るく陽がさす森をつくってほしい。
そしたら下の木が育つんだよ。
鳥も種を落としているし、森が
みんなが生きてゆかれる森になるといいな。」
私「本当にそうだね。どうもありがとう。」
Real Tanuki / rumpleteaser
おかりした写真です。
この子がこのくらい大きく育って、いつか東の実のなる木が
たくさんある森に移っていけたら・・とそう願っています。
今、子だぬきがいる私の近所の山の森は、残念ながら植林された
杉や竹の手入れがあまり行きとどいていなくて薄暗く、下草もあまり
育っていません。
台風などの倒木もそのまま放置されています。
昔はまつたけが育つような森だったのだそうです。
その時代は、適度に木が伐採されて手入れがされていたと思います。
そういう森は木と木の間が適度にあって、陽がさし、若木やきのこ、
山菜なども育ちやすく、人にとっても動物にとっても住みやすい豊かな
森だったのだろうなと思います。
私がここに来たころは、すでに荒れはじめていた森でしたが、
キジやコジュケイの声がしたり、ノウサギがいた森でした。
今は農家の方の高齢化などで森の管理が大変になってきたからなのでしょう・・
山のほうからイノシシが出てきて作物を荒らしたという
話を聞いていました。
イノシシが怖いので、私もいつしか荒れた森の奥のほうは
散歩しなくなっていました。
動物がいても住みにくい森になっていったんですね・・
昨年10月、クマとはなしたときこう言っていました。
「ぼくたち大きな動物がすめないところは地水がなくなって、
山が水をたくわえられない。
やがて土砂崩れがおきて人が大変になっちゃう。
ぼくたちがすめる森は水を生み出し、川を流し、
ゆたかな自然と一緒に
人がすめる世界につながっているんだよ。」
Growth / Nicholas_T
貴船の森に行ったとき、多種多様の木がありました。
そして、その森が蓄えた豊かな水が川となって
流れていました。
まさに水源の森でした。
北海道の原生林が公園となっていたところでも、
うっそうとしているように見えても、古い朽ちた木の
栄養が新しい木の苗床になって世代交代がちゃんと
行われている光景をみました。
そして、下草もそだっていたのを覚えています。
人が植えてしまった杉や竹は人の手で
管理していかなくてはならないんですね・・
荒れてやせた森は土と水を蓄えられないので、
土砂崩れの原因になってしまいます。
ボランティアで竹林の手入れをしたり、杉の伐採、植樹などで
森を再生させようという取り組みがあちこちにあることを知りました。
本当にゆっくりの歩みだと思うのですが、とても大切な
ことだと思います。
The Emerald Forest / Tomi Tapio
動物たちが住める森は、人間達の暮らしをも豊かに守って
くれるものでもあると思います。
千尋のアニマルコミュニケーションサイト
2011-12-20 13:07
動物が住める森~子だぬきのおはなし① [山のどうぶつ]
12月17日の夕方、主人と愛犬と一緒の散歩道。
住宅街の生垣からがさがさっという音とともに飛び出して
きた動物がいました。
道路でかたまる動物・・・
その動物を見つめてかたまる私たち・・
「たぬきだ!」と私が言うと、はっと我に返ったたぬきは
反対側の塀の下をくぐり抜けて走っていきました。
灰色の丸い耳と丸い顔で後は全身真っ黒で小柄な姿は
どう見ても生後半年くらいの子だぬきに見えました。
体はやせていて、最初猫と間違うほどの細さでした。
「あんなところにたぬきがいるんだねえ・・初めて見た。」と
主人も驚いていました。
生まれてからずっとここに住んでいる主人です。
子だぬきの様子が気になって、夜になっておはなししてみました。
子「お母さんとはぐれたんだよ。車に轢かれたんだ。
道路を渡っていたときだった。
僕はひとりでごはんを探してここまできたんだ。」
私「ごはんは見つかった?」
子「犬の残りごはんを食べてる。
少し残してあるんだ、いつも。」
私「犬は怒らない?」
子「僕は犬が寝てる間に食べるから大丈夫。
起きてるときには近寄らないんだ。」
子だぬきが飛び出してきたお宅は大きな庭のある農家さんです。
その裏手にはのんびりした柴犬の雑種さんがいます。
多分、あの子のごはんだな~と思っていると・・・
犬がそれこそたぬき寝入り(寝たふり)をして、子だぬきに
ごはんを分けてあげているイメージが浮かびました。
あのやさしい犬ならそうしてあげるだろうなと思いました。(^^)
我が家のお隣の犬さんもドッグフードをいつもちょっぴり残すので
ジョウビタキが食べています。(笑)
私「そうか、よかったね。
ただし、お母さんのときみたいに車には気をつけるんだよ。
すごい速さで走ってくるから。
渡るときは、藪からそうっと顔を出して、右左を見て
何も来ていないときに渡るんだよ。
今日みたいに飛び出してきたら危ないよ。
犬や自転車も危ないからね。」
私は道路を走ってくる車やヘッドライトの様子、
走ってくる自転車やバイク、散歩中の犬など、
右左の確認のやり方などを視覚イメージで
教えました。
特にたぬきはヘッドライトにさらされるとびっくりして
立ち止まってしまい事故が多いのだそうです。
子だぬきは理解してくれたようでした。
そして、普段の様子を話してくれました。
子「普段は軒下(多分民家や小屋の下)とかに隠れてる。
夜になったらごはんを探してる。
今日はお腹がぺこぺこだったんだ。」
私「今日はごはんはあった?」
子「犬が残しておいてくれた。」
私「よかったね。車とかに気をつけてね。
もう少し大きくなったら山に帰るんだよ。」
私は住宅街から山の方向へ向かう道筋を教えました。
農家さんの庭があるこのあたりは、とても広い庭に
ちょっとした木々が生え、畑もあり、子だぬきが
こっそり一冬暮らすくらいならやっていけそうな環境では
ありました。
子「お母さんとその方から来たと思う。」
そう言ったので、もう少し詳しく山の形状を伝えました。
子「僕は山のほうに帰れると思う。
そのほうがお母さんも喜ぶよね。」
私「多分、お母さんも安心すると思うよ。
仲間がいるかもしれない。」
子だぬきがいる辺りから山への道をもう少し
詳しく伝えました。
子「その道は知ってる。お母さんはこの通りで
死んだんだ。」
場所が一致して、お母さんが轢かれたらしい車通りの多い場所が
なんとなくわかりました。
私「特に車が激しい場所だから、通るときはよく気をつけて。」
お母さんがヘッドライトの車に轢かれた様子が浮かびました。
おそらく子だぬきの記憶だと思います。
私「お母さんはなんで道に出てきたの?」
子「猫のごはんをもらいに来たんだ。」
私「森はごはんが乏しいの?」
子「雑木が少なくて木の実が少ないんだ。
僕たちが生きていくには厳しい環境かも。」
ここの森ではなくもう少し奥にはもっと緑豊かな森に
なっていたはず・・
私「そうか。森についてもう少し聞いてみるよ。
そしたらまた話そうね。
車に気をつけてね。」
子「わかった!頑張るよ!」
千尋のアニマルコミュニケーションサイト
住宅街の生垣からがさがさっという音とともに飛び出して
きた動物がいました。
道路でかたまる動物・・・
その動物を見つめてかたまる私たち・・
「たぬきだ!」と私が言うと、はっと我に返ったたぬきは
反対側の塀の下をくぐり抜けて走っていきました。
灰色の丸い耳と丸い顔で後は全身真っ黒で小柄な姿は
どう見ても生後半年くらいの子だぬきに見えました。
体はやせていて、最初猫と間違うほどの細さでした。
「あんなところにたぬきがいるんだねえ・・初めて見た。」と
主人も驚いていました。
生まれてからずっとここに住んでいる主人です。
子だぬきの様子が気になって、夜になっておはなししてみました。
子「お母さんとはぐれたんだよ。車に轢かれたんだ。
道路を渡っていたときだった。
僕はひとりでごはんを探してここまできたんだ。」
私「ごはんは見つかった?」
子「犬の残りごはんを食べてる。
少し残してあるんだ、いつも。」
私「犬は怒らない?」
子「僕は犬が寝てる間に食べるから大丈夫。
起きてるときには近寄らないんだ。」
子だぬきが飛び出してきたお宅は大きな庭のある農家さんです。
その裏手にはのんびりした柴犬の雑種さんがいます。
多分、あの子のごはんだな~と思っていると・・・
犬がそれこそたぬき寝入り(寝たふり)をして、子だぬきに
ごはんを分けてあげているイメージが浮かびました。
あのやさしい犬ならそうしてあげるだろうなと思いました。(^^)
我が家のお隣の犬さんもドッグフードをいつもちょっぴり残すので
ジョウビタキが食べています。(笑)
私「そうか、よかったね。
ただし、お母さんのときみたいに車には気をつけるんだよ。
すごい速さで走ってくるから。
渡るときは、藪からそうっと顔を出して、右左を見て
何も来ていないときに渡るんだよ。
今日みたいに飛び出してきたら危ないよ。
犬や自転車も危ないからね。」
私は道路を走ってくる車やヘッドライトの様子、
走ってくる自転車やバイク、散歩中の犬など、
右左の確認のやり方などを視覚イメージで
教えました。
特にたぬきはヘッドライトにさらされるとびっくりして
立ち止まってしまい事故が多いのだそうです。
子だぬきは理解してくれたようでした。
そして、普段の様子を話してくれました。
子「普段は軒下(多分民家や小屋の下)とかに隠れてる。
夜になったらごはんを探してる。
今日はお腹がぺこぺこだったんだ。」
私「今日はごはんはあった?」
子「犬が残しておいてくれた。」
私「よかったね。車とかに気をつけてね。
もう少し大きくなったら山に帰るんだよ。」
私は住宅街から山の方向へ向かう道筋を教えました。
農家さんの庭があるこのあたりは、とても広い庭に
ちょっとした木々が生え、畑もあり、子だぬきが
こっそり一冬暮らすくらいならやっていけそうな環境では
ありました。
子「お母さんとその方から来たと思う。」
そう言ったので、もう少し詳しく山の形状を伝えました。
子「僕は山のほうに帰れると思う。
そのほうがお母さんも喜ぶよね。」
私「多分、お母さんも安心すると思うよ。
仲間がいるかもしれない。」
子だぬきがいる辺りから山への道をもう少し
詳しく伝えました。
子「その道は知ってる。お母さんはこの通りで
死んだんだ。」
場所が一致して、お母さんが轢かれたらしい車通りの多い場所が
なんとなくわかりました。
私「特に車が激しい場所だから、通るときはよく気をつけて。」
お母さんがヘッドライトの車に轢かれた様子が浮かびました。
おそらく子だぬきの記憶だと思います。
私「お母さんはなんで道に出てきたの?」
子「猫のごはんをもらいに来たんだ。」
私「森はごはんが乏しいの?」
子「雑木が少なくて木の実が少ないんだ。
僕たちが生きていくには厳しい環境かも。」
ここの森ではなくもう少し奥にはもっと緑豊かな森に
なっていたはず・・
私「そうか。森についてもう少し聞いてみるよ。
そしたらまた話そうね。
車に気をつけてね。」
子「わかった!頑張るよ!」
千尋のアニマルコミュニケーションサイト
2011-12-20 11:51
くまのおはなし [山のどうぶつ]
Alaskan Coastal Brown bear.....6 / Alan Vernon.
この森にクマがいなくなれば、豊かな自然がなくなるのとおんなじだよ。
地球は豊かな星だよ。人ってそれがわかっているのかな?
ぼくたち大きな動物がすめないところは地水がなくなって、
山が水をたくわえられない。
やがて土砂崩れがおきて人が大変になっちゃう。
ぼくたちがすめる森は水を生み出し、川を流し、ゆたかな自然と一緒に
人がすめる世界につながっているんだよ。
親子のクマがいつもいっしょにいること。
そして人の目にふれるのは、
人にも子供につながる自然を残してほしいから。
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2010-10-24 20:39