SSブログ

子ネズミのおはなし [山のどうぶつ]

先日、朝の愛犬の散歩に出かけたとき、家の近くの道端に、
死んだネズミが横たわっていました。
どうやら他の動物に襲われたようです。
体の大きさ、顔から子ネズミのようでした。
もしかすると、カラスや、他の動物がまた持っていくかもしれないと
思って、このまま散歩に行くことにしました。
子ネズミが他の動物のお腹におさまることは、ある意味、
その動物の命を生かすことになると思ったからです。

たとえ亡くなっても、食べられて、次の命を生かすこと。
こういう考え方をするようになったのは、自然界の生き物たちと
おはなしするようになったからかもしれません。

そのまま散歩に行き、帰ってきたら、子ネズミはそのままの
場所にいました。
多分、ずっとこの子はこの場所にいそうだなあ・・・と思いました。
もう少し人通りが多くなったら、みんなびっくりしたり、ゴミみたいに
捨てられてしまうでしょう。

私は、愛犬を家に連れ行ってから、引き返して、子ネズミを
人が来ない草むらにそっと置きました。
ここで自然に還るようにね・・・と。
虫や微生物たちが、ゆっくりゆっくり土に還してくれると思いました。
(死んだヘビさんもそうしたことがあります^^;)

しばらくしてから、自分のセルフヒーリングをしているとき、子ネズミの
顔が浮かび、「あなたのそばにいさせてもらえませんか?」と聞かれました。
たいそうかわいく感じられました。
子ネズミは、ただ死んだ自分を草むらに移動しただけの私を慕ってくれた
ようでした。

私は、「それはできないけれど、大黒様のご眷属のねずみさんたちに、
一緒に天に連れていっていただくようにお願いするからね。」と伝えました。
子ネズミは納得したようで、姿を消しました。

時々、子ネズミの気配を感じることがあります。

子ネズミに話を聞いてみました。

「時々、あなたのそばに来ていることがありますが、
 大黒様のねずみさんたちと天にいます。
 私は次の転生でちゃんとつとめを果たさないといけないと
 言われました。

 ねずみは確かに小さいし、力も弱いです。
 でも、私たちは小さくても勇敢です。
 私はご眷属ねずみさんから、生きることとは、
 どう、生きるか、ということを知りました。

 小さいし、すぐに死んでしまうけれど、
 次もねずみに生まれたい。
 立派にねずみとして生きたいのです。

 どう、死ぬか、だと、生きるのが怖くなってしまうけれど、
 どう生きるか、そう思って生きることが、どんなに大切か、
 死んでしまったからわかるんです。

 だから、私は、次もねずみとして、生きます。」

 本当にうれしい言葉でした。
 今日、そばに来てくれたのは、それを伝えにきてくれたのだそうです。
 大黒様のねずみさんたちは、彼に本当に大切なことを教えてくれました。

 自分がどんな存在で、そして、どう生きるか
 いろんな局面に、どう向き合うか
 生きるってそういうことなんだと思います。

 また、ねずみに生まれ変わって、また、何かに襲われるかもしれない。
 それでも、そこでどう、生きるのか。
 自分が、どう生きたのか。
 きっとそれが大切なんですね。

先月、オオカミ信仰の神社のことや、実際に山の精霊とおはなししてみて、
ご眷属というのは本当に存在するのだろうと感じました。
京都の伏見稲荷で感じるぴーんとした、気持ちいい感じや、鞍馬山や神戸の
六甲山には天狗さんがいるなあ、カラスはご眷属のお使いだなあ、とか。
大黒様のねずみさんは、以前、日光東照宮と二荒山神社を参拝したときに
感じました(^^)

今回、初めてご眷属に子ネズミのことをお願いしてみましたが、
よかったと思いました。
私のそばで、ずっと魂のままいるよりも、生きることを諦めずに、
前へ、前へと進んでいってほしかったんです。
魂は、成長を望むものだから。

秋に出雲大社に行ける予定なので、大国主様(大黒様)とねずみさんに
お礼をお伝えしようと思います。
そこの神様やご眷属に失礼のないように礼節をもって接し、山や神社を訪れることが
大切なんだだそうです。

もし、ひっそり亡くなっているものに出会って、お弔いすることが
ありましたら、輪廻の輪に戻って、次もしっかりと生きてくださいと
お伝えしてみてください。

 
 
 







この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。