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心の泉2 [書棚からの言葉]

<千尋のアニマルコミュニケーションサイトからのお知らせ>

お知らせをTOPにさせていただきます。

☆セッションの受付を再開いたします。
お休みを延長させていただき、大変ご迷惑をおかけいたしました。
ご心配をいただいた皆様、本当にどうもありがとうございました。
体調を崩していたおばあちゃん猫は、目がかなり見えなくなってきていますが、
食欲が出てきて元気に過ごしています。見えなくても日常生活はちゃんと
出来ていて動物はすごいな~と思います!励まされました。

セッションの受付を再開いたします。
また頑張りますので、よろしくお願いいたします。


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先日、夢で見た「心の泉」で自分を大切にすることついて書きました。

今読んでいる本の中に、心を動かされる言葉を見つけました。

「-アメリカ人は自分のことがあまり好きではないようだ。
 でも、仏の心をもてば、自分を愛さずにはいられませんよ。

        米国訪問時、弟子によって伝えられたダライ・ラマの言葉

       ~人生という名の先生 ダニエル・ゴットリープ著・講談社出版より」



すごく温かみを感じ、心にじ~んと響く言葉でした。
この言葉を弟子に話して、にこっと笑ったダライラマ法王の笑顔が目に浮かぶようでした。

この言葉から届く仏の心とは、慈悲のことではないかと思います。

慈悲について、先日ご紹介させていただいた「猫のさとり マガジン・マガジン出版」で
著者の岩崎るりはさんはこう書いています。

「1989年にノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世は、その著書、
『ダライ・ラマ 般若心経入門』の中で、こう述べています。

『純粋な慈悲とは、智慧と親愛の両方を持ったものでなければならない。
この場合の智慧とは、他者の苦しみの本性を理解するということであり、
親愛とは、他の生き物に対する親しみと共感をもつということである。』

人間に寄り添う猫という小さな動物を慈しみ愛すること。
そうすれば、もっと安らかな気持ちになれるのだ。
ダライ・ラマはそう言っているように思えてなりません。

最後にもう一つ、ダライ・ラマの言葉を、

『慈悲とはある種の願望であり、他の人々を苦しみから解放したい
という心の状態である』

これこそが、この本にこめた私の願いです。」



仏の心で自分を見つめるということは、自分自身の苦しみの本性を
理解し、親愛~自分への親しみと共感を持って自分の心を抱くということ
なのだと思います。

慈悲という言葉を聞いて、私の心に浮かぶのは蓮の花です。
仏教的なシンボルとして扱われているからかもしれませんが、
蓮の花がふわっと開いているのを手のひらに包んでいる情景を
思い浮かべると、この慈悲という言葉の意味が、あたたかみを
もって広がってくるのを感じます。
それは、心の泉の源泉のようなものなのかもしれません。

蓮の花を扱うように、自分の心と他者、自然や動物たちを眺めることが
できれば、己の心は平和で穏やかでいられるのだろうな・・と思いました。

まずは、仏の心で自分を包んであげること。
それが、心の泉をきらきらと流し続けていけることにつながってゆきますように。


DSCT0666 / gtknj

おかりした写真です。





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