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イソヒヨドリのおはなし~僕の人生は小さな物語 [鳥のおはなし]

一昨日、外で庭作業をしていたら、「ケッケッケ!」とイソヒヨドリの地鳴き(ぢなき)が聞こえてきました。
地鳴きというのは、「主に繁殖期以外での鳴き声を言う。一例として、ウグイスのさえずりが
「ホーホケキョ」、 地鳴きが「チャッチャ、チャッチャ」。ほかには警戒や威嚇の際の鳴き声、
雛を呼ぶとき などの鳴き声を言う。状況に応じ使い分ける。」というものです。
ウィキペディアの鳥類用語から引用させていただきました。
こちらからです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E9%A1%9E%E7%94%A8%E8%AA%9E

私はこの「ケッケッケ!」という声が結構好きです。
ユニークでちょっと笑ってしまうんですよね。
そして、鳴いているイソヒヨドリ本人も愛嬌たっぷりにこっちを見ながら、
『見て見て~!』という動きをしています。
そのうち飛んでいきました。

昨日の夕方の愛犬との散歩道で、またイソヒヨドリのオスに会いました。


male Blue rock thrush / coniferconifer

おかりした写真です。
こんな感じで柵に止まっていて、私が気がつくとひらりとそばの地面まで飛んできてくれました。
しばしじ~っと観察させてもらうと、またひらりと柵に止まり、「僕と話そうよ!」と言われて同意しました。(笑)
それを受け取ると納得したのか、川の草原の中に飛んでいきました。
草原のほうまで歩いていくと、またひらりと飛んできて、そばの柵に止まって、
私のほうをにこっとした感じで見てから飛んでいきました。
私はイソヒヨドリに微笑みかけられたようでうれしくなりました。
散歩道では時々、野鳥や虫たちとこういったやりとりができてうれしいです。

そんな彼とのおはなしです。

イ「今日僕は、地鳴きのことを語りにきたんだ。  
  歌うということと、鳴くということは違うんだ。
  歌は喜びを歌う。
  生きている証明を発する。
  心を通して僕たちは美しい歌を歌い、
  恋をして、命をはぐくむ。
  歌とは命の始まりの歌なんだ。

  鳴くということは、生活を意味している。
  僕らの地鳴きは、子供を呼んだり、注意を喚起したり、
  今、ここに集中しろという意味なんだ。
  この二つの違いを君に呼びかけることで、僕は君に
  注意を喚起している。」

一体何を注意されているんだろう~?(^^;)

私「それは何?」

イ「今いる、この場所で、春よりも地鳴きを使うことで、
  僕たちは恋を脱して、堅実に生きている。
  命が無事に巣立ったんだ。
  今はそれぞれに人生を生きている。
  もう責任もない。
  役割がひとつ終わったんだ。

  僕たちは二回目の子育てはしないし、今は単独で
  それぞれを生きているんだ。
  たくさんの今を生きるということは、人生のそれぞれの
  局面をそれに合わせて柔軟に生きていくこと。

  僕たちは恋を終えて、子育てを終えた今、
  自分自身を生きている。
  地鳴きとは今、そういう時期なんだ。
  役割を終えて自由になって初めて、
  今、ここで、自分という命を、あとの時間を
  一人で生きていくことで描いていくんだ。

  華やかなだけが人生じゃなくて、あとの半分は
  一人で地道に生きてゆくこと、さえずりの時期は終わったけれど、
  この一人の時期がまたいいんだ。
  自分ひとりで生きる醍醐味を君も味わってごらん。

  自然と僕たちと関わって、君だけの世界をここに描こうよ。
  僕たちは、自分の舞台をこの自然の中で生きる。
  大きく目立たなくとも、堅実に着実に僕の人生がここにあるように。
  君がそれを知っていてくれているように、僕ら自身が知っている、
  自分の人生を。
  そういう人生を生きられたら言うことなしだ。
  そうだろう?

  小さな物語がこの中にちりばめられている。
  これからもそういう物語を拾って描いていってね。
  大きくはないけれど、小さな宝物が僕たちの人生さ。」

確かに野に生きる野鳥たち、虫たちの命は短くて、季節季節を
生き抜いていると感じます。
野山で死んでいる姿をみかけるのも少なくはありません。
生きている姿、死んでいる姿。
精一杯生きてきた命たち。

小さな生き物たち、彼ら自身の人生の小さな物語をこれからも聞いていけたら、
つづっていけたらと思います。

<千尋のアニマルコミュニケーションサイト>

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