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ふじちゃんののんびり闘病記②~真っ白な中に強さを [猫のおはなし]

みなさん、こんにちは。

実は4月25日にふじちゃんが天国に旅立ちました。
最後まで穏やかに過ごせて、眠るような安らかな旅立ちでした。
無事にお葬式もすんで、今はお骨になってお花の隣にいます。

ふじちゃんを天国にお返しできたこと、最後まで心穏やか過ごせたことで、
感謝の気持ちでいっぱいです。
今しばらくはお見送りの疲れを癒したいと思っています。
5月上旬くらいにまたセッションでみなさんのお役に立てられたらと思います。
もう少しお休みさせてくださいね。

長くなりますが、ふじちゃんの最後の数日間のおはなしをさせてください。

4月下旬の病院の診察では、ふじちゃんの貧血が進んでいて、BUNとアンモニアの
値が上昇していることがわかりました。
血中のアンモニア濃度が高くなってくると、けいれんの発作が起きる可能性が
出てくるため、1~2日おきの少量の点滴は続けることになりました。
むくみはお腹に出ることが多くなっていました。

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ふじちゃんは貧血のためか歩くときにふらつくことが多くなって、寝ていることが
増えました。
そんな中でも、窓辺で景色を楽しむなど、自分なりにのんびり過ごしていたと思います。

診察の前日はよく食べてくれたのですが、その日を境に自分から食べるという食欲が
減ってきました。
大好きな生しらすも一口、二口は食べてくれるのですが、あとはいらないと言うので、
足りない分は、私が缶詰を食べさせてあげるようになりました。
ふじちゃんは、しぶしぶですが、食べさせることに同意してくれて、嫌がることは
ありませんでした。
栄養スープの素をぬるま湯で溶かし、牛乳で風味をつけたものはよく飲んでくれました。
その中にホメオパシーやフラワーレメディも入れていました。

4月21日、北海道の実家から祖母が亡くなったという連絡が入りました。
その前日、両親と叔母がお見舞いに行ったときには元気そうな祖母だったそうで、
本当に突然でした。けれど、92歳と長生きできて、大往生だったと思います。
祖母の葬儀に帰省したいけれど、歩くのもやっとになってきていて、ごはんを自分では
食べられないふじちゃんを置いていくのはとても心配でした。
事情を話すと、親戚のみなさんは猫ちゃんのそばにいてもいいよ!と言って
くれてありがたかったです。

家族とふじちゃん自身とよく相談して、やはり祖母の葬儀のために北海道に
帰ることにしました。
ふじちゃんは強い口調で「私は大丈夫だから、帰ってきなさい!」と言って
くれて決心がつきました。

その頃、ふじちゃんはなんとかトイレまでは自力で歩いていって、あとのほとんどは
寝たきりの状態でした。
帰省する前夜にふじちゃんの点滴をしました。おそらく、私が帰宅するまでは
点滴は大丈夫だと思いました。

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帰省当日の朝、私が食べさせるごはんをぺろりと全部食べて、スープもごくごくと
全部飲んでくれて安心させてくれました。
「私は大丈夫、行ってきなさい!」とまた言ってくれました。
義母にはふじちゃんのごはんの食べさせ方を練習してもらい、出来る準備は
整えて出発しました。

北海道に到着してから、家にメールをしてみると、午後2時ごろ、ふじちゃんは
軽いけいれんの発作を起こしたとのことでした。
義母はその時、「もう頑張らなくてもいいよ。お父さんのところに行ってもいいんだよ。」
と話しかけたそうです。
けいれんは程なく治まったそうです。
昨年10月の闘病以来、一度もけいれんはなかったので心配になりました。

けいれんの後、ふじちゃんの体調が落ちたようで、完全に寝たきりになったと
電話で聞きました。でも、口元に持っていくとスープや牛乳はしっかり飲んでくれて、
義母のごはんの介助もあって少しは食べてくれていると知りました。
トイレは寝たままペットシーツになりましたが、顔をあげて知らせてくれるので、
すぐに体を拭いてきれいにしてもらえていたようです。
下痢はすっかり止まっていたのでよかったです。

祖母の葬儀には、叔父や叔母、いとこたち、その子供たち(祖母にとってはひ孫)
が集まって、心あたたまるものになりました。
家族葬だったので、何の気兼ねもなく、小さなひ孫たちが駆け回って、
祖母の思い出話に花が咲きました。

葬儀中にお産がぶつかったいとこに元気な赤ちゃんが生まれました。
10人目のひ孫です。天国の祖母も喜んでいることでしょう。
見送って、お迎えして、命はこうやって続いていくんですね。
一泊二日の忙しい帰省でしたが、いいお見送りが出来たと思います。
ちゃんとお別れに行ってきて本当によかったです。

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自宅に戻った私を、ふじちゃんは生きて待っていてくれました。
義母が丁寧にふじちゃんのお世話をしてくれていたのがわかりました。
私の顔を見て、にゃ~んと鳴いて、私の手からスープとごはんを食べてくれました。
その日は5回もおしっこがたくさんでたそうです。
おしっこが出ることは大切だったので安心しました。
それもあって、その日の夜、100CCの点滴をしました。

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翌朝もふじちゃんは穏やかな様子で、スープを自分で飲んでくれました。
ごはんは前日よりは食べる量が減り、無理させないようにしました。
夜中の3時におしっこが出たと義母が教えてくれました。
点滴をした割には、午前中のおしっこが出ていないのがちょっと心配になりました。

ふじちゃんと話してみました。
私「今、体調はどう?」

ふ「体はだるいけど、痛いところも苦しいところもないよ。」

私「ふじちゃんの希望はどう?」

ふ「体の姿勢はこのままでいいよ。やわらかい布もありがたい。
  あごのせ(頭にタオルの枕をあてていました。)もうれしいな。
  水分は自分から飲むよ。」

私「ごはんはどう?」

ふ「もうあまり飲み込めないから、飲み込めるようにして
  食べさせてくれたらいいよ。」

私「流動食みたいな感じがいい?」

ふ「それでいいよ。
  もう、あと2,3日で旅立つと思う。
  体もだるいけど、今のまま同じに過ごさせてくれていいよ。
  心も体も不安もなく穏やかなんだ。
  やり遂げることももうない。」

私「いろんなことを見届けられた?」

ふ「あなたとの約束も守ったし。」

私が北海道から帰ってくるまで待っているという約束です。

私「そうだね。帰ってくるまで生きていてくれてありがとう。」

ふ「心も体も天国に近い。
  食べさせるのも、飲ませるのも、私の意識はあるうちは
  やってくれて構わないよ。
  いずれ、食べられなくなるときがくる。
  その時は死ぬときだから、そのときまで食べさせてくれていいよ。
  ゆっくりと過ごそうね。」

私「そうさせてもらうね。」

ふ「おばあちゃん(北海道の祖母)を見送って、死とは続いていく
  ものだとわかったでしょう。
  生きている者は、死ぬ行く者に、胸を張って生きられるように
  しなくちゃ。
  
  死出の旅は怖くはない。
  船出、そう思う。
  ちょっとの間のお別れよ。
  旅の先にはおじいちゃん(義父)が待っていてくれる。
  私はもう2,3日で逝くからね。
  そのときにちゃんと旅立たせてね。」

私「ふじのいいときに旅立っていいよ。」

ふ「私は心の準備が出来ているし、死はこの先も続いていくって
  知っているから。

  心の白いところが、もう天国とつながっている。
  道はできている。
  あとは、もう逝くだけ。
  ゆっくりとそこに向かっていくね。」

私「そうしてね。」

ふじちゃんの魂が、もう天国のすぐ近くに来ていることをエネルギーと
イメージで感じられました。
たとえようもなく穏やかで安らぎに満ちていました。

その後、お昼にふじちゃんは牛乳入りスープを飲んでくれて、ごはんは少量
口にしてくれました。

私は、ふじちゃんとの時間が2,3日あると信じて、呼吸も穏やかな様子に
少し安心しました。
帰省の疲れがどっと出て、義母にお願いをして、午後から横になることに
しました。

午後3時ごろ、目が覚めて様子を見にいくと、ふじちゃんはくうくうと
気持ちよさそうに寝ていました。
私がなでると気持ちよさそうでした。
午後13時半におしっこも出たと聞き安心しました。
もう少し横になろうと思いました。

午後4時ごろ、義母に「ふじちゃんが亡くなったよ。」と起こされました。
義母が見ていたら、大きくう~んと伸びをして深呼吸をしたら息が止まったそうです。
まえぶれも何もなく、穏やかに眠ったままからの旅立ちでした。
前日から全然苦しむこともなく、安らかに過ごせて旅立てて本当によかったです。
ふじちゃんの顔は安らかでした。

ふじちゃんがその日の夕方に旅立つと思いませんでした。
今思うと、私が「ふじちゃんのいいときにいつでも旅立っていいよ。」と
伝えられたからかもしれません。

翌日はゆっくりと家族で過ごし、翌々日にふじちゃんのお見送りをしてきました。
その日は天気がよく、心穏やかに送ってあげることができました。
今はお骨になって、お花の隣にいるふじちゃんです。

お葬式の翌日は、さすがに疲れが出て、心にぽっかりと穴があいたような
寂しさにおそわれました。
一日ゆっくり休んでの今日は、気持ちが落ち着いてきています。
魂になったふじちゃんとおはなししてみました。

ふ「私は今、おじいちゃんと一緒にいる。
  チャコもいる。(先代犬。ふじと仲良しでした。)
  体は健やかでほがらか。
  みんなが私が来てうれしがっている。
  私は役目を終えてここに来たの。」

私「本当にお疲れ様。
  ふじちゃんのお役目は何だったの?」

ふ「おじいちゃんの浄化と、その後の家族を支えること。」

昨年10月から義父が旅立つまで、ふじちゃんはずっと義父に寄り添って、
自分の命ぎりぎりを使って浄化してくれていました。
それは、太尾和子さんのセッションで話してくれたことです。
義父が亡き後は、私たち家族を支え続けてくれました。
10月当時は、ふじちゃんのほうが先に寿命が来るかもしれない状態だったのに、
そこからの期間は7ヶ月に及びました。

ふ「私が生きることで、命の強さを示したかったの。
  気力で何とかできることと、体力の限界まで頑張ること、
  意思の力で生きるということを。」

私「本当にそうだったね。」

ふじちゃんの余命がわずかと言われてからの7ヶ月間は、まさに彼女自身の気力、
体力の限界、意思の力だったと思います。

ふ「自分の命は自分で生きるっていうことをぎりぎりまで伝えられたと思う。
  強さをあなたに示したかったの。命の強さをね。
  そして、自分自身を生きるということを、その真っ白な心に刻みつけなさい。
  あなたに強さが加われば道は開ける。

  静かに自分の信念を生きることを、私は天国に行っても示し続ける。
  私は黙って、自分を生きた。
  そして、その強さで、言葉ではなく態度で、明るさと強さの両方を
  鼻歌を歌いながら、闘病を通して伝えられたと思う。

  真っ白な中に強さを持ちなさい。
  言葉ではなく、強さを。
  私が生きたように。

  明るさと強さを、その人生の中に感じて生きていって。
  竹のような強さと しなやかさを。
  私の願いはそれだけ。
  人生の中道を大切にね。」

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 ふじちゃんの人生、あっぱれ!の一言でした。

 少し前にこのブログでご紹介したふじちゃんの言葉の中に、
 鼻歌を歌いながら、昼寝の延長のように天国にいけると思う、というのが
 ありました。
 本当にそのとおりに天寿を全うして行ってしまいました。

 私の中に強さを。
 真っ白の中に強さを。
 願いはそれだけ。

 ふじちゃんが遺してくれたものの大きさを思って、これからも
 大切に過ごしていこうと思います。

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ふじちゃんのお見送り後の疲れを癒すためにもうしばらく
お休みさせてください。
5月上旬にはセッションの再開をしたいと思っています。
よろしくお願いいたします。


☆セッション再開後のお知らせ

セッションをお休み中にこのようなお知らせで恐縮です。

ずっと考えてきたセッション料金の変更を4月からさせて
いただくことにしました。
料金の変更については、いろんな方から貴重なアドバイスをいただけて、
一年以上考えてきました。

今年に入って、私自身のセッション内容が変わってきたこと、
今までより深く動物からのメッセージをお届けできるように
なってきたと感じています。

料金を変更させていただくことは、私にとっても勇気がいることでした。
気持ちが引き締まる思いです。
だからこそより一層、みなさまと動物たちのお役に立てられるように、
真摯にアニマルコミュニケーションに向き合って努力していこうと
思っています。

セッション料金の変更につきましては、こちらをごらんください。

☆セッション料金について
http://nijinofune.web.fc2.com/page/session-ryoukinnado.html

これからもよろしくお願いいたします。


<千尋のアニマルコミュニケーションサイト>

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